箱根駅伝で大活躍
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/05 23:07 UTC 版)
順天堂大学に進学し、今井は1年生ながら2004年・第80回箱根駅伝ではエース区間の2区を走り区間10位だった。ただ、このときラスト3kmの上り坂での走りが素晴らしく、後の今井の5区起用とそれによる才能の開花の伏線となった。 2005年・第81回箱根駅伝では、5区(小田原→箱根・芦ノ湖の区間)の標高差775mの上り坂をまるで平地のように疾走し、前年5区で金栗四三杯(最優秀選手賞)獲得の鐘ケ谷幸二(筑波大学・関東学連選抜)の9人抜きを超える5区史上最多の11人抜きを達成し、かつ中井祥太(東海大学)の持つ5区の区間記録を2分17秒も更新する1時間9分12秒で走破、金栗杯を手にした。2006年度からは5区のコースが延長された為(小田原中継所が東京寄りに2.5km移動した)、この記録は永遠のものとなった。因みに、コース変更される前の第75回大会以前と、コース変更された第93回大会以降で、1時間9分台で走りきった選手は第98回大会現在、今井だけである。 2006年・第82回箱根駅伝では、故障明けの実戦ながらも順天堂大学に17年ぶりの往路優勝をもたらした。この年から5区の距離が延び、最長区間となった同区で区間賞でゴール。5区でたすきを繋いだ時点では6位だったが、天候の悪い最悪のコンディションながら、まず前の4人をごぼう抜きし、17km地点過ぎで山梨学院大学の森本直人を捉えて5人抜きの単独1位になり、あとは一人旅のまま往路優勝へ導いた。今井のその走りは高く評価され、3区で区間新記録を出した佐藤悠基らを抑えて2年連続で金栗杯を手にした。 順大陸上部主将として臨んだ2007年・第83回大会で今井は、トップから4分9秒遅れの5位で4区佐藤秀和からたすきを受けた後、驚異的なペースで上り坂を駆け抜け、16km地点で首位に躍り出た。更に前年自らが出した区間記録を25秒更新する1時間18分5秒でゴール、順大を2年連続の5区逆転往路優勝、そして6年ぶりの総合優勝に導くとともに3年連続区間記録更新という5区史上前人未到の記録を打ち立てた。(3年連続区間新は武井隆次(早大)以来5人目だが、3年連続同区間で記録したのは今井が初である。ただし3年次はコース変更があったため、区間賞=区間新であった。)のちに佐藤悠基とともに金栗杯を受賞し、今井は3年連続の金栗杯受賞となった。 ちなみに5区での3年連続区間賞は、大東文化大学の大久保初男の4年連続区間賞に次ぎ、明治大学の八島健三、日本大学の鈴木房重、中央大学の西田勝雄の3年連続区間賞に並ぶ記録である。今井が5区で抜いたランナーは3年間あわせて20人に上る。この事からテレビ中継では今井のことを「山の神、此処に降臨!」と言われた。 なお、今井が大学卒業後の2009年・第85回大会の5区では、東洋大学の柏原竜二が今井の区間記録を47秒も更新する1時間17分18秒をマークして、東洋大学の往路・復路共に首位の総合初優勝に貢献する。奇しくも、柏原は今井と同じ福島県の浜通りの出身であり、ゴールの瞬間の実況では今井になぞらえて「新・山の神」「山の神童」とも言われた。その時、今井はゲスト出演者として柏原の快走を見届けており、「自分と同じ福島出身の後輩が活躍してくれて嬉しいですね」と祝福している。それ以後も柏原は、翌2010年・第86回大会で自らの区間記録を10秒更新する1時間17分08秒、2012年・第88回大会ではその記録を更に29秒更新する1時間16分39秒をマークした。さらに、2015年・第91回大会の5区ではコースが一部変更・20m延長された山登り区間で青山学院大学の神野大地が1時間16分15秒の驚異的なタイムをマークし、当大学の往路・総合初優勝にも貢献、神野は「三代目・山の神」と称された。
※この「箱根駅伝で大活躍」の解説は、「今井正人」の解説の一部です。
「箱根駅伝で大活躍」を含む「今井正人」の記事については、「今井正人」の概要を参照ください。
- 箱根駅伝で大活躍のページへのリンク