フルミネンセFC時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/06/01 20:26 UTC 版)
「テレ・サンタナ」の記事における「フルミネンセFC時代」の解説
少年時代はミッドフィールダーとしてプレーしていたが、1951年にフルミネンセFCのトップチームに昇格すると、ゼゼ・モレイラ(ポルトガル語版)監督が彼を右ウイングにコンバートし、その後はブラジル代表のマウリーニョが在籍した期間を除いて常に右ウイングとしてプレーした。同年に初開催されたリオデジャネイロ州選手権決勝では2得点を決めて優勝し、州選手権に加えてトルネイロ・リオ=サンパウロ(ポルトガル語版)でも優勝した。1952年にはリオデジャネイロ州選抜に選ばれ、故郷のミナスジェライス州選抜相手に2得点を決めている。この時期のブラジル代表右ウイングのポジションにはガリンシャなどがおり、彼らの高い壁に阻まれて代表レギュラーの座は奪えなかった。1952年にリオデジャネイロ・カップで優勝してからはタイトルに恵まれない期間が続いたが、1957年に再びトルネイロ・リオ=サンパウロで優勝し、1959年にはリオデジャネイロ州選手権で自身2度目の優勝を果たした。当時は試合中の選手交代は認められていなかったため、ディフェンス陣に負傷者が出た場合は彼がディフェンスのポジションに移って試合を続行することもしばしばあった。
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