アテネ五輪への挑戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 03:03 UTC 版)
「坂本直子 (陸上選手)」の記事における「アテネ五輪への挑戦」の解説
アテネ五輪女子マラソン国内選考会だった2004年1月の大阪国際女子マラソンでは、気温3.7度の厳しい寒さの中でスタート。有力選手がひしめく先頭集団内の牽制により、最初の5kmと10kmまでの5kmラップが18分台と超スローペースで進み、距離を経るごとにペースは少しずつ上がるも好記録は殆ど望めない勝負だけの争いとなった。大阪城公園内の27km付近で千葉真子が仕掛けるも、坂本らは千葉の飛び出しについていき、千葉、坂本、渋井、大南博美と4人のトップ争いに絞られる。その後30km地点の給水所を過ぎた直後、坂本自ら猛烈な高速スパートを開始すると、2位の千葉らは坂本に全くついていけなくなった。スパートした坂本の30km~35kmの5kmラップは現在でも女子マラソン日本人歴代最速の15分47秒であり、日本人女子マラソン選手では30kmを過ぎてから初めて5kmラップが15分台を記録する超ハイペースだった。そのまま坂本がハイペースで逃げ切り、アテネ五輪の切符を手繰り寄せる念願のフルマラソン初優勝を果たした。
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