アテネオリンピック出場
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/10 14:48 UTC 版)
2004年アテネオリンピックのチームスプリントでは第1走で出走し、伏見俊昭・井上昌己と共に銀メダルを獲得した。アテネオリンピックでは予選 (17.586秒)、1回戦 (17.566秒)、決勝 (17.612秒) をマークしたが、このタイムは当時の世界最高タイムであった。加えて、伏見、井上の持ちタイムは他国の選手と比較すると明らかに見劣りしていたため、長塚のこの走りが銀メダル獲得に導いたと考えられる。 チームスプリントは一人でも遅れたら勝負にならないため、ゲーリー・ウエスト監督からの意向であえて、1周ベスト17秒4のところ17秒56 - 61に抑えて走っていたという。第3走の井上は永井清史と枠を争っていたが、長塚から監督への進言で機会を得て最終的に選ばれた。
※この「アテネオリンピック出場」の解説は、「長塚智広」の解説の一部です。
「アテネオリンピック出場」を含む「長塚智広」の記事については、「長塚智広」の概要を参照ください。
- アテネオリンピック出場のページへのリンク