アテネ五輪までとは? わかりやすく解説

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アテネ五輪まで

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/29 08:44 UTC 版)

土佐礼子」の記事における「アテネ五輪まで」の解説

大学卒業後、竹本監督順天堂大学時代先輩鈴木秀夫監督務め三井海上当時)へ入社入社3か月後の1999年7月札幌国際ハーフマラソンで6位に入り同年10月世界ハーフマラソン選手権(イタリア・パレルモ)日本女子代表選出される。その世界ハーフ本番レースでも快走をみせ、1時間9分36秒で6位に入賞した日本女子トップ2位野口みずき)。 社会人初のマラソン出走となった2000年3月名古屋国際女子マラソン大会では、高橋尚子優勝して2000年シドニーオリンピック代表選出)の22Km過ぎからのスパートにはついていけず、2分以上の大差つけられたが、2位入って2時間24分台の好記録マークした当時女子マラソン日本歴代4位)。 同年11月東京国際女子マラソンでも、優勝したジョイス・チェプチュンバシドニー五輪銅メダリスト)に27.5Km地点から引き離され2位となるが、世界陸上選手権女子マラソン代表の内定条件満たし世界陸上代表に初め選出された。2001年8月世界陸上エドモントン大会では、優勝したリディア・シモン残り1kmラストスパートには対応できず、わずか5秒及ばなかったが2位ゴール銀メダル獲得した2002年4月ロンドンマラソンでは、4位ながらも2時間22分台のタイムゴールマラソン自己最高記録更新当時日本歴代3位好記録マークした優勝当時初マラソン世界最高記録マークしたポーラ・ラドクリフ)。 その後は足の故障続き走れない日々続いたが、アテネオリンピック最終選考レース2004年3月名古屋国際女子マラソンで、約2年ぶりにフルマラソン出走した後半30km過ぎ、田中現姓大島)めぐみが土佐引き離し独走した失速終盤37km付近土佐逆転しアテネ五輪女子マラソン選考会のゴールタイムでは最速の2時間23分台で優勝果たした土佐優勝により、野口みずき内定済み)・坂本直子高橋尚子の3名で決まりかけていたアテネ五輪女子マラソン代表選考紛糾。代表に選出されたのは野口土佐坂本三人補欠千葉真子)で、選考大会で優勝出来ずタイムレース内容悪かったシドニー五輪金メダリスト高橋尚子が、アテネ五輪代表から落選となった。しかし、この日本陸上競技連盟下した決断物議を醸した8月アテネ五輪女子マラソンでは、優勝した野口みずき中盤からのロングスパートについていけず、メダル獲得逃したものの、5位入賞ゴールした坂本直子も7位入賞日本女子代表は3人ともに8位以内入賞果たした)。

※この「アテネ五輪まで」の解説は、「土佐礼子」の解説の一部です。
「アテネ五輪まで」を含む「土佐礼子」の記事については、「土佐礼子」の概要を参照ください。

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