アテネ五輪出場
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シドニーオリンピックの女子マラソン日本代表落選から4年後、35歳となった2004年アテネ五輪も女子マラソンでの出場を目指したが、選考レースの同年1月の大阪国際女子マラソンでは、レース中盤の大阪城公園内でスパートした千葉真子(2位)や坂本直子(優勝)らについていけず5位に留まり、再び五輪でのマラソン代表選出はならなかった。しかしその後はすぐさま気持ちを切り替え、長距離トラック代表での五輪出場を目指した。そして同年6月の日本選手権女子10000mで3位に入賞、4年前と同じく長距離種目での五輪日本代表入りを果たす。日本女子の陸上競技トラック種目で五輪3回連続出場の快挙達成は、彼女が初めてであった。そのアテネ五輪10000m本番では、大島めぐみ・福士加代子と共に出場し、メダル・入賞争いには絡めなかったが、前回のシドニー五輪よりわずかながらも順位を上回り、18位のゴールだった。
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