アテネ公国内のローマ・カトリック教会
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「アテネ公国」の記事における「アテネ公国内のローマ・カトリック教会」の解説
アテネはフランス人に支配されて以降、コンスタンティノポリス総大司教下の大司教が置かれた。当時アテネは重要な都市ではなく、東ローマ帝国で28番目の序列であった。それでも、有名な聖職者であるミカエル・コニアテスを輩出していた。それまでアテネには正教会の府主教座が置かれており、ユーリポス、ダウリア、コロネア、アンドロス、オレオス、スキュルス、カリストス、ポルトムス、アウロン、シュラ・セリフス、セオス・テルミエの11の属主教が配下にあった。教皇インノケンティウス3世は初代アテネ大司教のベラルドを通じて教会組織を統治した。典礼はパリ大司教のものを輸入したが、遠く離れたアテネの地に望んで赴く者はわずかであった。そんな中、教養のあるカタルーニャ人であったアントニオ・バレステルは大司教として大きな役割を果たした。 生神女アテニオティッサに捧げられた正教会の教会であったパルテノン神殿は、ローマ・カトリックの聖母マリアのための教会となった。正教会は、ラテン諸国の認可を得ることができないために地下組織として存続した。そのため、正教会が正当でないとされていた12世紀の間は、ギリシャ人聖職者がほとんど書物を記すことはなく、教育も著しく悪化した。
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