メイの功績と社会背景概説とは? わかりやすく解説

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メイの功績と社会背景概説

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/11 05:19 UTC 版)

アースキン・メイ (初代ファーンバラ男爵)」の記事における「メイの功績と社会背景概説」の解説

メイ議会運営改革提唱した19世紀は、イギリス議会近代化民主化へと変容する重要な転換期に当たり、「議会黄金時代」とも称される18世紀後半から興った産業革命により、富裕商工業者上層中産階級ブルジョワジー)の社会・経済力が増していた。そしてメイ生まれた1815年は、ナポレオン戦争終結させた第二次パリ条約締結年でもあり、イギリス国内においても戦後苦境陥ったブルジョワジーの間で独自の階級意識萌芽し、次第貴族階級との間で政治組織的に対立激化させていった時期である。 中等教育終えた16歳メイ1831年庶民院図書館にて職を得てキャリアスタートさせているが、その翌年1832年には長年階級対立第1次選挙法改正第1次選挙改革)の形で結実し、「イギリスにとって政治的に決定的な出来事であった」とも評されている。当改革により、庶民院選挙権都市部小売店クラスにまで拡大された。その一方でブルジョワ的な金権政治弊害招き従前ら行われていた選挙票の買収などの腐敗行為はむしろ悪化したこのような政情にあってメイ30歳手前にして通称アースキン・メイ』(1844年初版)を上梓し、議会運営意思決定公平性フェアプレイ精神)を説いた議会運営準則定めた教本は他にも複数あるものの、メイ視点外部からの研究・評論ではなく実務経験根差して諸問題事例引用解説したことが特徴として挙げられ本書21世紀に入ってからもしばしば実質的なイギリス憲法一部として位置づけられている。その内容不正選挙公判弾劾といった司法手続に関するものや、私法律案(private bills)の請願審理手順庶民院下院)・貴族院上院)・国王間の意思疎通権限分担など多岐に渡る。 また、メイ著作通じて説いたのはフェアプレイ精神効果性)だけではない。議会審議脱線時間不足(すなわち効率性)が慢性的な課題となっており、小冊子議会公務促進するための所見提言』(1849年)では、選挙集票目的議会弁論冗長化していると指摘した。これに関連しメイは、議会審議無関係な発言や長演説禁止といった議事規則具体的な改革提言した当時メイ私法律案請願審査員務めており、1830年代から40年代イギリス鉄道狂時代とも呼ばれ鉄道敷設求め私法律案の請願などが議会殺到する状況メイ目の当たりにしていたのであるメイ議会改革提言一部は、敬愛するチャールズ・ショー=ルフェーブル英語版庶民院議長通じて1853年穏健な形で実現している。メイ各種改革案は緻密徹底していたものの、同時に長年培った憲政先例原理伝統重んじる姿勢忘れことはなかった。 その後1855年12月40歳)に庶民院書記官補佐1871年2月には庶民院書記官昇格任命されている。庶民院書記官とは議会運営手続関わるアドバイザー職のトップである。既にメイ書記官補佐時代には『アースキン・メイ』がイギリス国外で評価得て第6版まで改訂進み書記官昇格後も第9版まで改訂従事した当時イギリス対外的には帝国主義基づいて覇権拡大した時期であり、諸外国議会関係者メイ接触した記録残っている。しかしながら国内での実務上では、書記官補佐時代メイ議会規則改革の諸提言議会委員会から合意得られず、書記官昇格後も改革努力続けた。 さらに1860年代以降職務傍ら執筆活動の幅も広げ直近100年間のイギリス憲政史をまとめた『ジョージ三世王位継承以降イギリス憲法史』(1861年-、全3巻)や、古代欧州から当時アジア諸国にいたる民主主義俯瞰した『ヨーロッパ民主史』(1877年)を記している。イギリス議会史に詳しい中村英勝は、立憲政治母国たるイギリスにおいて19世紀以降憲政史研究が盛んであった考察しており、その代表的な史家としてメイの名前を挙げている。ただし、歴史学者ハーバート・バターフィールドからは、メイホイッグ史観国王国教会対抗する議会側の主権優位性ことさら強調する視座)が批判されている。イギリス政党政治長い歴史有するが、19世紀入ってからはトーリー党前身宮廷党、後の保守党地方土地所有名望家支持基盤)とホイッグ党前身地方党、後の自由党名望家以外が支持基盤)との二大政党による舌戦繰り広げられ政権交代繰り返した時代であったメイ立場ホイッグ党であったかは不明だが、少なくとも議事規則めぐって強固なホイッグ党支持だったと言われている。

※この「メイの功績と社会背景概説」の解説は、「アースキン・メイ (初代ファーンバラ男爵)」の解説の一部です。
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