メイの功績と社会背景概説
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「アースキン・メイ (初代ファーンバラ男爵)」の記事における「メイの功績と社会背景概説」の解説
メイが議会運営改革を提唱した19世紀は、イギリス議会が近代化・民主化へと変容する重要な転換期に当たり、「議会の黄金時代」とも称される。18世紀後半から興った産業革命により、富裕商工業者(上層中産階級、ブルジョワジー)の社会・経済力が増していた。そしてメイの生まれた1815年は、ナポレオン戦争を終結させた第二次パリ条約の締結年でもあり、イギリス国内においても戦後苦境に陥ったブルジョワジーの間で独自の階級意識が萌芽し、次第に貴族階級との間で政治組織的に対立を激化させていった時期である。 中等教育を終えた16歳のメイは1831年、庶民院図書館にて職を得てキャリアをスタートさせているが、その翌年1832年には長年の階級間対立が第1次選挙法改正(第1次選挙改革)の形で結実し、「イギリスにとっては政治的に決定的な出来事であった」とも評されている。当改革により、庶民院の選挙権が都市部の小売店主クラスにまで拡大された。その一方で、ブルジョワ的な金権政治の弊害も招き、従前から行われていた選挙票の買収などの腐敗行為はむしろ悪化した。 このような政情にあって、メイは30歳手前にして通称『アースキン・メイ』(1844年初版)を上梓し、議会運営と意思決定の公平性(フェアプレイの精神)を説いた。議会運営の準則を定めた教本は他にも複数あるものの、メイの視点は外部からの研究・評論ではなく、実務経験に根差して諸問題の事例を引用・解説したことが特徴として挙げられ、本書は21世紀に入ってからもしばしば実質的なイギリス憲法の一部として位置づけられている。その内容は不正選挙の公判・弾劾といった司法手続に関するものや、私法律案(private bills)の請願審理手順、庶民院(下院)・貴族院(上院)・国王間の意思疎通と権限分担など多岐に渡る。 また、メイが著作を通じて説いたのはフェアプレイの精神(効果性)だけではない。議会審議の脱線と時間不足(すなわち効率性)が慢性的な課題となっており、小冊子『議会公務を促進するための所見と提言』(1849年)では、選挙の集票目的で議会弁論が冗長化していると指摘した。これに関連しメイは、議会審議に無関係な発言や長演説の禁止といった議事規則の具体的な改革を提言した。当時のメイは私法律案請願の審査員を務めており、1830年代から40年代のイギリスは鉄道狂時代とも呼ばれ、鉄道敷設を求める私法律案の請願などが議会に殺到する状況をメイは目の当たりにしていたのである。メイの議会改革提言の一部は、敬愛するチャールズ・ショー=ルフェーブル(英語版)庶民院議長を通じて1853年に穏健な形で実現している。メイの各種改革案は緻密徹底していたものの、同時に長年培った憲政の先例・原理や伝統を重んじる姿勢を忘れることはなかった。 その後、1855年12月(40歳)に庶民院書記官補佐、1871年2月には庶民院書記官に昇格任命されている。庶民院書記官とは議会運営・手続に関わるアドバイザー職のトップである。既にメイの書記官補佐時代には『アースキン・メイ』がイギリス国外でも評価を得て、第6版まで改訂が進み、書記官に昇格後も第9版まで改訂に従事した。当時のイギリスは対外的には帝国主義に基づいて覇権を拡大した時期であり、諸外国の議会関係者がメイに接触した記録も残っている。しかしながら国内での実務上では、書記官補佐時代のメイは議会規則改革の諸提言で議会の委員会から合意を得られず、書記官昇格後も改革の努力を続けた。 さらに1860年代以降、職務の傍らで執筆活動の幅も広げ、直近100年間のイギリス憲政史をまとめた『ジョージ三世の王位継承以降のイギリス憲法史』(1861年-、全3巻)や、古代欧州から当時のアジア諸国にいたる民主主義を俯瞰した『ヨーロッパ民主史』(1877年)を記している。イギリス議会史に詳しい中村英勝は、立憲政治の母国たるイギリスにおいて19世紀以降は憲政史の研究が盛んであったと考察しており、その代表的な史家としてメイの名前を挙げている。ただし、歴史学者ハーバート・バターフィールドからは、メイのホイッグ史観(国王や国教会に対抗する議会側の主権優位性をことさら強調する視座)が批判されている。イギリスは政党政治の長い歴史を有するが、19世紀に入ってからはトーリー党(前身は宮廷党、後の保守党、地方の土地所有名望家が支持基盤)とホイッグ党(前身は地方党、後の自由党、名望家以外が支持基盤)との二大政党による舌戦が繰り広げられ、政権交代を繰り返した時代であった。メイが立場上ホイッグ党員であったかは不明だが、少なくとも議事規則をめぐっては強固なホイッグ党支持だったと言われている。
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