サンフランシスコ平和条約署名後とは? わかりやすく解説

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サンフランシスコ平和条約署名後

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 07:33 UTC 版)

竹島」の記事における「サンフランシスコ平和条約署名後」の解説

1951年9月21日韓国卞栄泰外務長官はムチオ米国大使宛の書簡で、SCAPIN-677 などを根拠として竹島領有権主張11月14日新聞記者などを乗せて11月13日境港出航した鳥取県立境高等学校水産科練習船朝凪丸(112トン)」の一行14日午前竹島上陸1952年昭和27年1月18日韓国政府李承晩ライン宣言しマッカーサー・ライン続いて竹島自国側の海域入れる。日本政府は、韓国政府竹島に「領土権主張しているように見えるが」認めない口上書により抗議2月12日韓国政府は、SCAPIN-677 およびマッカーサー・ラインにより竹島韓国領であることが確認できる反論竹島に関する日韓政府の初の応酬)。 4月25日マッカーサー・ライン失効韓国李承晩ライン引き続き主張日本政府は、韓国政府再反論4月28日サンフランシスコ平和条約発効5月20日島根県住民米軍竹島爆撃訓練中止求め請願書提出7月26日日米合同委員会竹島米軍海上演習場として指定9月17日9月28日韓国山岳会朝鮮語版)が鬱陵島独島学術調査団を派遣12月4日韓国による米軍竹島爆撃訓練への抗議対し米政府は「我々のこの島へ領有認識ラスク書簡通りである。」と回答1953年昭和28年1月12日韓国政府李承晩ライン内に出漁し日本漁船徹底拿捕指示2月4日済州島付近日本漁船漁労長韓国軍銃撃を受け死亡。(第一大邦丸事件2月27日韓国国防部は、「アメリカ竹島領有権韓国にあることを認めた。」と発表3月日米合同委員会竹島爆撃訓練場範囲から外すことを決定4月20日韓国独島義勇守備隊が、初め竹島駐屯6月27日日本国海上保安庁島根県の約30名が竹島調査実施、「日本島根県隠岐郡五箇村」の領土標識建てる竹島住み着いていた韓国漁民6名を退去させた。 7月12日竹島上陸していた韓国独島守備隊日本海上保安庁巡視船「へくら」に発砲以後韓国竹島武装化進め日本の艦船接近認めていない。日本政府はこの韓国による竹島武装化する動き抗議しているが、韓国側は「内政干渉」として退けている。 7月13日日本政府発砲事件抗議、島からの即時退去領有権主張国際法的根拠照会要求韓国対し竹島に関する日本政府の見解文書送付第1回見解往復・往)。 7月27日朝鮮戦争休戦協定締結される9月9日韓国政府は、日本政府照会対し于山島』『沈興澤報告書』等の古文献提示して反論第1回見解往復・復)。 10月11日10月17日韓国山岳会鬱陵島独島学術調査団を派遣1954年昭和29年2月10日日本政府は、韓国側提示した根拠反論する口上書提出第2回見解往復・往)。 5月3日:隠岐島五箇村久見漁業協同組合日本人組合員竹島漁労。これが日本人竹島漁労した最後の例となっている。 8月15日朝鮮戦争出征したジェームズ・ヴァン・フリート大統領特命大使として使節団率いて極東各国歴訪しヴァン・フリート特命報告書作成ヴァン・フリートは「米国は、竹島日本領であると考えているが、竹島問題国際司法裁判所通じて解決されることが望ましい」というアメリカ合衆国意向を、非公式に韓国伝達したなどのことを大統領報告した9月20日韓国竹島図柄にした切手発行日本国外務省抗議9月25日韓国政府日本2月口上書反論第2回見解往復・復)。日本政府領有問題国際司法裁判所付託することを韓国側提案10月28日日本ICJ付託韓国拒否11月21日韓国軍竹島西島北西3マイル地点航行中日本海上保安庁巡視船「おき」と「へくら」に対し午前6時58分から午前7時にかけて5発の砲撃加える。 11月30日砲撃事件対し日本の外務省抗議1956年昭和31年4月韓国警察鬱陵警察署警官8名が島に常駐9月20日日本政府、「竹島に関する1954年9月25日大韓民国政府の見解対す日本国政府見解」に反論文書送付第3回見解往復・往)。 12月25日独島義勇守備隊解散1959年昭和34年1月7日韓国政府は、日本側の反論再反論第3回見解往復・復)。 1960年昭和35年4月27日当時駐日米国大使ダグラス・マッカーサー2世より、米国国務省李承晩体制が終わるタイミングで「竹島日本返還させるよう圧力加えるべき」との電報による提言が行われる(機密電文3470号を参照)。 1961年昭和36年12月26日日本国外務省在日韓国代表部対し抗議口上書送り韓国政府抗議。翌27日韓国反駁する1962年昭和37年3月12日東京行われた日韓外相会談において、小坂善太郎外務大臣崔徳新外務部長官に対し竹島領有権問題国際司法裁判所付託することを再び提案韓国側拒否7月13日日本政府は、韓国側反論再反論第4回見解往復・往)。 1964年昭和39年):鬱陵島安龍福顕彰する「安龍福将軍忠魂碑」が建立される。 1965年昭和40年6月22日日韓基本条約調印され日韓漁業協定により李承晩ライン廃止される同時に日韓紛争解決交換公文取り交わされたが竹島明記見送られ韓国竹島領有問題紛争処理事項でないとの立場取り交渉応じない方針立てる。 12月17日:「大韓民国駐日代表1965年12月17日口上書」(第4回見解往復・復)。

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