キャスティングおよびオーディションとは? わかりやすく解説

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キャスティングおよびオーディション

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/12 19:12 UTC 版)

王様と私 (ミュージカル)」の記事における「キャスティングおよびオーディション」の解説

ローレンス演じアンナ役に対し王様役は助演となるが、ハマースタインロジャース王様役は著名な舞台俳優であることが必須考えていた。映画王様役を演じたレックス・ハリソンがすぐに思い浮かんだが、ノエル・カワード作品出演することになっていた。『オクラホマ!カーリーオリジナル・キャストのアルフレッド・ドレイクは出演料高額であったリハーサルまで期間があまりなく、王様役の配役大問となっていた。『南太平洋ネリーオリジナル・キャストのメアリー・マーティンは、中国舞台にした1946年ミュージカルLute Song 』(原作は『琵琶記』)で共演したロシア系アメリカ人ユル・ブリンナー提案したロジャースブリンナーオーディションについて以下のように語った: 最初俳優の名が紹介され坊主頭の男入ってきて舞台上で足を組んで座った。彼はギター持って鳴らしし、物凄い叫び声異教徒風に歌ったオスカーと私は顔を見合わせ言った。「これだ」。 ロジャースブリンナーを「とても美しいが、とても変わっている」と称したブリンナーCBSの『Starlight Theatre 』などでディレクターとして確立しており、舞台戻りたくはなかった。妻、所属事務所マーティンハマースタイン脚本を読むよう説得し一度読んでみると王様キャラクター魅了されプロジェクトに携われることを希望した。とにかくブリンナー獰猛気まぐれ、危険、そして驚くほど神経質な王様ローレンス頑固だが傷付きやすいアンナ役の理想的引き立て役となり、終盤の『Shall We Dance? 』のシーンでは王様アンナの腰に恐る恐る手をまわすと素晴らし相性となる。 1950年終盤リハーサル最後準備始まったハマースタインは『南太平洋』同様ローガン演出および脚本共著してほしかったが断られ自分全ての脚本執筆したローガン代わりにロジャースハマースタインは、数年前ローレンス仕事をしたことのあるジョン・ヴァン・ドルテンを演出雇った衣裳デザインのシャラフはメディアに「第1幕フィナーレローレンスブリンナー、そしてピンクサテン夜会服特徴とする」と書かれ、ヴィクトリア朝イギリス人ガヴァネス衣裳誤解しているとして立腹した。Mielziner の装置プランメイン王座のほか、船やアンナ部屋など幕前多用し、『アンクル・トムの小屋』のために舞台上を広くあけ、これまでロジャース&ハマースタイン組んだ4作品中最もシンプルなものとなった予算当時ロジャース&ハマースタインプロダクション最高額の$250,000 (現代貨幣価値US$2,410,000)となり、高額予算失敗作Allegro 』を越えると嘲る者もいた。投資者ハマースタインロジャースローガンマーティン、ビリー・ローズ、ヘイワードなどであった王子王女などの子役はプエルトリコイタリアなど人種は様々であったタイ人はいなかった。ジョニー・スチュワートはラーマ5世配役されたが、開幕3か月降板し、ロニー・リー交代した。サンディ・ケネディがルイス役、ブロードウェイベテラン俳優ラリー・ダグラスがルン・タ役に配役された。 1951年1月リハーサル開始直前ロジャースはタプティム役のドレッタ・モロウにローレンスソロ曲を含むローレンス歌唱箇所を歌わせた。ローレンス冷静に聞いていたが、歌唱力不足を指摘されたのだと考え翌日ロジャース冷たくあしらったハマースタインロジャースローレンス力ずく演技によって柔軟に演じることができるのか疑問であった。『コリアズ』誌の作家のジェイムズ・ポリングがリハーサル参加しローレンスの『Shall I Tell You What I Think of You? 』に関して以下のように記した: ローレンス練習のためズボンの上モスリンサック・バック・ガウン、そして寒さ対策のため肩にジャケット掛け舞台中央立っていた。ローレンス抑えた感じで「召使い召使いって。私はあなたの召使いではありません」と台詞言ったその後ローレンス徐々にゆっくりではあるが力強くクレッシェンドのようにそのシーン演じて行き、床にかがみ、激怒しつつ進み出て叫んだ。「嫌な人たち。あなたたちみんな嫌なやつだわ」。この直後劇場多数スタッフたちが拍手喝采した。 ボリングがシャラフおよび坊主頭ブリンナー初め会った際、その髪をどうしたのか尋ねると、剃ったのだと答えた当初ブリンナーはその髪型似合わない嫌がり断っていた。しかし試験興行の際、ついに頭を剃って顔と同じ暗い色の舞台化粧を頭にも施した。この髪型はとても好評で、ブリンナートレードマークとなったローレンスリハーサルを時々病欠していたが、誰も真実知らなかった1951年2月27日コネチカット州ニューヘイブンにて試験興行開幕し上演時間4時間にもおよんだ喉頭炎患っていたローレンスは、衣裳着用して行なうドレス・リハーサル参加できなかったが、試験興行初演ローレンスにとってのドレス・リハーサルとなった。『バラエティ』誌の批評家は、ローレンス病気患っていたにも関わらず所作演技動き表現が非常に素晴らしく様々な面で観客楽しませた」と記したが、『フィラデルフィア・ブレティン』紙は「加齢によりすでにか細くなった声は全て薄っぺらくしている」と記したリーランド・ヘイワード鑑賞後、ロジャース早期閉幕アドバイスしショック与えたニューヘイブン公演終えボストンでのさらなる試験興行控えていたが少なくとも45分カットしなくてはならなかった。ダンサー1人であったゲムゼ・ド・ラペはカットについて以下のように語った: 彼らは素晴らしシーンカットしたアンナ最初に宮殿入ってくる時「半年以上待っていた。あなたのドアの外で待って待って待ち続けた」と歌う。最後に傘で彼を指さすか何かして、王様は「彼女を打ち首にしろ」というようなことを言い宦官たちが彼女を連れて出て行く王様大満足して「あれは誰だ、誰なんだ」と言い自分追い出したのは英語教師だったと知る。それで「連れ戻せと言ってアンナ戻ってくる。私たちは皆このシーン好きだった。 この『Waiting 』という曲はアンナ王様、クララホム首相トリオであった。クララホム首相唯一のソロ曲『Who Would Refuse? 』もカットされた。歌う箇所なくなったマーヴィン・ヴァイが降板し、代わりにジョン・ジュリアノが配役された。ドロシー・サーノフがオリジナル・キャストとなったチャン王妃の曲『Now You Leave 』もカットとなった。これらのカットの後、ロジャース&ハマースタイン第1幕は何かが欠けているような気がしていた。ローレンスアンナ子供たちの歌の作曲提案した。メアリー・マーティンは『南太平洋』でカットとなった曲『Suddenly Lucky 』を思い出させた。ハマースタインはこのメロディ新たな歌詞をのせ、題名を『Getting to Know You 』と改め使用することになった。『Western People Funny 』、『I Have Dreamed 』もボストン公演追加された。 ブリンナー複雑な王様の役を発展させるのに充分な時間がなかったと感じ試験興行がもっと上演されればよかった語った。しかしブリンナーハマースタインロジャース話した時、彼らがどれくらいの期間が必要かと尋ねると、ブリンナーは「これで充分だろう。きっと好評だ」と答えていたのである

※この「キャスティングおよびオーディション」の解説は、「王様と私 (ミュージカル)」の解説の一部です。
「キャスティングおよびオーディション」を含む「王様と私 (ミュージカル)」の記事については、「王様と私 (ミュージカル)」の概要を参照ください。

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