ゆとり教育の経緯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/06 04:22 UTC 版)
「学習指導要領」も参照 第二次世界大戦後の日本の教育は、「「生活・経験」重視のカリキュラム」→「「系統・構造」重視のカリキュラム(詰めこみ教育)」→「「人間性」重視のカリキュラム」→「新学力観」→「生きる力をはぐくむ教育」と推移してきた。 スプートニク・ショックの影響を受けて教育の現代化(詰め込み教育)が起こり、1960年~1970年代に経験主義的な教育から系統的な教育、そして詰め込み教育と変遷していった。しかし、詰め込み教育は、知識の暗記を重視したため、「なぜそうなるのか」といった疑問や創造力の欠如が問題視され、高度で過密な教科内容と新幹線授業と呼ばれるほどの早い教育により落ちこぼれを増加させてしまう結果となった。またこのような教育で詰め込まれた知識は試験が終わると忘れてしまう「剥落学力」であるという指摘もあった。 1970年代に日本教職員組合(日教組)が「ゆとりある学校」を提起したが、当時の教育政策への影響は議論が分かれる。当時は世論の詰め込み教育への批判が高まっていた。 国営企業の民営化を推し進めた中曽根内閣では、文部省と日教組の関係者間ばかりで行われる教育政策に疑問を呈し、第2次中曽根内閣の主導に1984年民間有識者によって構成される臨時教育審議会(臨教審)を発足させた。臨教審では「公教育の民営化、自由化」という意味合いの中で経済界や保守派の有識者の多数が賛成に回り、後のゆとり教育への流れを確立させた。臨教審は「個性重視の原則」「生涯学習体系への移行」「国際化、情報化など変化への対応」などの、ゆとり教育の基本となる4つの答申をまとめた。 さらに、校内暴力、非行、いじめ、不登校、落ちこぼれ、自殺など、学校教育や青少年にかかわる数々の社会問題を背景に、橋本内閣下の1996年(平成8年)7月19日の第15期中央教育審議会の第1次答申が発表された。答申は子どもたちの生活の現状として、ゆとりの無さ、社会性の不足と倫理観の問題、自立の遅れ、健康・体力の問題と同時に、国際性や社会参加・社会貢献の意識が高い積極面を指摘する。その上で答申はこれからの社会に求められる教育の在り方の基本的な方向として、全人的な「生きる力」の育成が必要であると結論付けた。「生きる力」は教育課程審議会に引き継がれ、そこで「総合的な学習の時間」をはじめとして各教科で「調べ学習」など思考力を付けることを目指した学習内容が多く盛り込まれた。1998年、小渕内閣下で新学力観として「生きる力」を重視し、完全学校週5日制実施とともに学習内容や授業時間を削減する、「ゆとり教育」をスローガンとする学習指導要領が成立した。この後、この「ゆとり教育」学習指導要領はマスコミや世論の批判に晒され大規模な「学力低下」論争へと発展するが、当時小泉内閣の遠山敦子文部科学大臣と小野元之文部事務次官とがその危機感を共有し、遠山文科大臣は2001年1月に緊急アピール「学びのすすめ」を発表し、初めて「確かな学力」という表現を用い、「学習指導要領は最低基準である」と明言した(最低基準であること自体は昭和33年の決定である)。小中学校では2002年度(平成14年度)、高等学校では2003年度(平成15年度)からこの学習指導要領が施行されたが、学習内容削減により教科書が薄くなった一方、「生きる力」への転換重視「総合的な学習の時間」をはじめとして各教科で「調べ学習」など思考力を付けることを目指した学習内容が多く盛り込まれた。教科書では実験、観察、調査、研究、発表、討論などが多く盛り込まれ、受け身の学習から能動的な学習、発信型の学習への転換が図られた。また、中学校の英語の教科が必修となり高等学校では新たに情報と福祉の教科が新設をされた。 ゆとり教育は、詰め込み教育に反対していた教育者、経済界などの有識者などから支持されていたが、OECD生徒の学習到達度調査 (PISA) などの国際学力テストで順位を落としたことなどから学力低下が指摘され、各方面から批判が起こった。当時、中山成彬文部科学大臣は、学力低下を認めるものの「生きる力」の「理念や目標には間違いがない」とし、また「その狙いが十分に達成されていないのではないか」と発言した。小泉内閣の下、小坂憲次文部科学大臣は中央教育審議会に学習指導要領の見直しを要請し、安倍政権が引き継いだ。この時点でマスコミは「脱ゆとり」という言葉を用いて報道していたが、小坂文部科学大臣も、安倍内閣下の伊吹文部科学大臣に至っても「ゆとり教育」の理念や方向性には賛同していた。安倍内閣で新設した教育再生会議(内閣府設置会議)において、初めてゆとり教育の授業時間が問題視される。教育再生会議の報告書(第1次:2007年(平成19年)1月24日 第2次:2007年(平成19年)6月1日)において、「授業時間の10%増(必要に応じて土曜日授業の復活)」などが盛り込まれ、安倍内閣骨太の方針2007には授業時間数の1割増が明記された。そうして2008年には、今までの内容を縮小させていた流れとは逆に、内容を増加させた学習指導要領案が告示され、2011年-2013年に完全に施行された。マスコミは、この改定された教育のことを「脱ゆとり教育」と称している。 ゆとり教育の範囲については諸説あり、1980年度から施行された学習指導要領による教育方針、1992年度から施行された新学力観に基づく教育を指す人もいるが、 マスメディアや国語辞典等では2002年度から施行された「生きる力」を重視する教育をゆとり教育であると定義する事が多い。
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