たたり
原の仏御前の伝説 平清盛に寵愛された仏御前は、後に故郷加賀国の原村に帰り、茶屋を開いた。村の男たちが仏御前に心奪われ茶屋に通ったので、女たちが嫉妬し、仏御前を殺した。その時仏御前は妊娠中で、そのたたりであろう、以後、村の女が昼間にお産をすると必ず大風が吹いた(石川県小松市原町)。
『大鏡』「道兼伝」 粟田殿道兼の長男は、福足君(ふくたりぎみ)と言った。まだ子供のうちに、蛇をいじめたたたりで、頭に腫れ物ができて死んだ。
『古今著聞集』巻20「魚虫禽獣」第30・通巻699話 3尺ばかりの蛇が、釜の前にある鼠穴に入り込んだので、炊事ができず、女が困っていた。隣家の女が、「熱湯を穴に入れれば、蛇は這い出て来る」と教える。女が煮えかえる湯を注ぐと、蛇は穴から出て来て、のたうちまわって死んだ。翌日の同時刻、隣家の女は、にわかに「あら熱や」と苦しみ出し、全身が焼けただれて死んだ。
『沙石集』巻9-5 沼で魚を獲る男が、1尺ほどの小蛇を見つけ、串に刺して道端に立てておいた。帰宅すると、その蛇が串に刺された姿でやって来る。すぐに殺すが、蛇は次々に現れる。何匹とも数えきれないほどである。男は身の毛がよだち、狂い死にしてしまった。
『ブラック・ジャック』(手塚治虫)「白葉さま」 女祈祷師白葉さまが、魚鱗癬の少年を診て、「この子は蛇を殺したことがあろう。そのたたりじゃ」と言う。ブラック・ジャックが皮膚の移植手術で少年を治療し、それを知った白葉さまは、自らの治療をブラック・ジャックに請う。白葉さまも魚鱗癬に苦しみ、どの医者も治せないので、医学を呪っていたのだった。
*癩病と思ったら、魚鱗癬だった→〔病気〕4の『蒼白の兵士』(ドイル)。
*犬や猫を医学の実験台にしたため、たたりを受ける→〔生霊〕3の『華岡青洲の妻』(有吉佐和子)。
★3.たたりのある場所。
『おばけ煙突』(つげ義春) 昭和30年代前半。東京郊外の某火力発電所の第4煙突は、立てる時2度もくずれおち、9人の作業員が死んだ。煙突が立った後も、煙突掃除夫が3人、落ちて死んだ。第4煙突には、たたりがあるというので、注連縄が巻かれた。発電所の塀には「4番目の煙突掃除した者に1万円さしあげます」との紙が貼られた→〔落下〕5a。
★4.刀剣のたたり。
『長町女腹切』(近松門左衛門) 猪瀬文平は身分不相応の高価な刀を買い、それを笑った友人高木を斬り殺して、自らは切腹した。その後、文平の3回忌に息子が病死し、その妻もあとを追うように死ぬなど、不吉なことが続く。鑑定家は、「この刀は猪瀬家に3代までたたる」と言った。年月を経て、文平の孫・半七が刀を安物とすりかえ(*→〔切腹〕2)、大名家から咎められる。叔母(=文平の娘)が、「文平が悪心を起こしたのも、刀のたたり。私が責任を負って死に、刀のたたりを終わらせよう」と言って、切腹する。
*家代々の呪いを終わらせるため、女性が命を棄てる→〔呪い〕9の『経帷子の秘密』(岡本綺堂)。
『日本書紀』巻29天武天皇・朱鳥元年5~6月 5月24日、天武天皇が発病した。6月10日、病気について占卜すると、草薙剣のたたりであることがわかった〔*この当時、草薙剣は宮中に置かれていた〕。そこで、その日のうちに草薙剣を尾張の熱田社に送り、安置した。
『播磨国風土記』讃容の郡中川の里 天智天皇の時、河内の村人が持って来た剣を、中川(仲川)の里の人・丸部具(わにべのそなふ)が買い取った。ところが剣を得て後、丸部の一家は死に絶えてしまった。剣は地中に埋もれていたが、苫編部犬猪(とまあみべのいぬゐ)が、耕作をしていてこの剣を見出した。鍛冶師が刃を焼くと、剣は蛇のごとく伸び縮みする。犬猪はこの剣を朝廷に献じた。しかし天武天皇の時、剣は中川の里に戻された。
★5.たたりを防ぐために供養をする。
火呑山(ひのみやま)七ッ池の大蛇の伝説 青目寺(しょうもくじ)の和尚が、火呑山の七ッ池に棲む大蛇を火薬で爆殺した(*→〔藁人形〕2)。村人たちが、大蛇の死体から首を切り取って青目寺へ持ち帰り、仏前に供えて、「後のたたりのないように」と供養を行なった。大蛇の頭骨は、青目寺の寺宝として今も残されている(広島県府中市)。
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