おニャン子クラブ
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おニャン子クラブ(おニャンこクラブ)は、フジテレビのテレビ番組『夕やけニャンニャン』から誕生した女性アイドルグループ[1][2]。1985年(昭和60年)から1987年(昭和62年)にかけて活動した[3]。
注釈
- ^ 元号では昭和60年代。男女雇用機会均等法が成立してバブル世代の女性が社会進出した時期である。
- ^ 活動中期の1986年8月と9月に、中学生で加入してきたメンバーたち5人で括られた「おニャン子クラブB組」も作られた。高校生以上で構成される本体のおニャン子クラブとは区分されていたが、1987年4月にB組のメンバーが全員高校生になって本体に昇格したことで、発展的解消した。
- ^ 正式な発表があったわけではなく、『夕やけニャンニャン』の台本の会員名簿の画像を確認すると、9月10日には名前が記載されているが、翌9月11日には記載されていない。よって1985年9月10日が最終出演日と推察される。
- ^ 学校を退学したため、番組規定(学校からの許可と学校との両立が活動の絶対条件)に反するとして脱退。
- ^ 正式な発表があったわけではなく、『夕やけニャンニャン』へ最後の出演となった日付。
- ^ a b c 当時はまだ番組内での「卒業式」を行ったことがなかったため、脱退を公式に発表せず、ある日突如番組から姿を消す形となった。
- ^ 学校からも除籍処分(自主退学が認められない退学処分)になった。
- ^ 学校の許可を得ずに合格したため、学校からも除籍処分(自主退学が認められない退学処分)になった。
- ^ 合格後、熱狂的なファンが自宅周辺まで待ち構え、押し掛ける等、プライバシーのない生活になってしまい、本人から脱退を申し出た。
- ^ 『銀河計画』は豊田商事事件で問題となった詐欺会社の名称であり、つまりは、当時のフジテレビの「公然やらせ」路線のメディア戦略が、アイドルの世界における詐欺商法であるというアイロニカルな呼称であった[47]。
- ^ 河合その子、渡辺美奈代、工藤静香、高井麻巳子、岩井由紀子、我妻佳代らなどは、おニャン子クラブ所属前からレコード会社や芸能事務所に所属していた。
- ^ おニャン子クラブB組のまま脱退した2人と『夕やけニャンニャン』番組末期に短期間だけ在籍した外国人の研修生1人には与えられなかった。
- ^ 「各方面」とお断りした後、次のランキングの歌手がフジテレビからの中継となり、追っかけマンの松宮一彦が中継の冒頭で「こちら各方面です」と揶揄する事があった。こうした現象が起きたのは、バラエティ部門における当時のおニャン子クラブのプロデューサーだった石田弘と確執のあった横澤彪および、石田と距離を置いていた王東順の制作班や、ドラマ部門の制作班が『ザ・ベストテン』との関係が悪くなかったことから中継部隊の立ち入り許可したためだった。
- ^ CDVは、CDプレーヤーで音声部分(オーディオパート)が約20分、LDプレーヤーで映像部分(ビデオパート)が約5分再生が可能なメディアで、オーディオパート4曲とビデオパート1曲で構成されている。
出典
- ^ a b 80年代アイドルcollection 2017, p. 92.
- ^ 世相風俗観察会 2001, p. 370,387,393-394.
- ^ おニャン子クラブと永遠のグループアイドル 2003, pp. 22–25.
- ^ アイドル40年 1986, p. 241.
- ^ 世相風俗観察会 2001, p. 370.
- ^ 「'80年代を彩ったアイドルたち」『ORICON WEEKLY』1989年12月25日号、オリジナルコンフィデンス、32頁。
- ^ a b c 世相風俗観察会 2001, p. 387.
- ^ 神田文人・小林英夫 編『増補完全版 昭和・平成 現代史年表』小学館、2019年7月6日、129頁。ISBN 978-4-09-626329-7。C0021。
- ^ 『昭和史全記録』毎日新聞社、1989年3月5日、1186頁。ISBN 4-620-80210-7。C0521。
- ^ 稲増 1993, p. 179.
- ^ 田中 2018, p. 101.
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- ^ 世相風俗観察会 2001, p. 350,359.
- ^ 稲増 1993, p. 185.
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- ^ おニャン子クラブと永遠のグループアイドル 2003, pp. 8–9.
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- ^ オリコン年鑑'86 1986, p. 186.
- ^ 80年代アイドルカルチャーガイド 2013, pp. 82–83.
- ^ a b 語れ!80年代アイドル 2014, p. 29.
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- ^ 稲増 1993, p. 181.
- ^ 「おニャン子速報!城之内早苗が演歌でソロデビュー」『ザテレビジョン』1986年5月23日号、角川書店、34頁。
- ^ a b 「おニャン子旋風 不況レコード界の“救世主”」『朝日新聞』1986年7月17日付東京夕刊、15頁。
- ^ a b おニャン子白書 1987, p. 132.
- ^ 「おニャン子速報!6名の予備軍が入学、歌にドラマに登場」『ザテレビジョン』1986年8月29日号、角川書店、38頁。
- ^ 「フジテレビ『夕やけニャンニャン』視聴率低迷でおニャン子たちはどこへ行く?」『DELUXEマガジンORE』1986年11月号、講談社、36頁。
- ^ オリコン年鑑'87 1987, p. 39.
- ^ 竹内 1987, p. 85.
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- ^ おニャン子白書 1987, p. 143.
- ^ a b おニャン子白書 1987, p. 144.
- ^ BOMBアイドル30年読本 2010, p. 67.
- ^ “おニャン子クラブが日テレで一夜限りの復活ステージ”. 日刊スポーツ. (2018年6月16日) 2018年6月17日閲覧。
- ^ “THE MUSIC DAY 伝えたい歌(番組公式サイト)”. 日本テレビ放送網 (2018年6月16日). 2018年7月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年6月18日閲覧。
- ^ a b 稲増 1993, pp. 179–181.
- ^ 小川 1988, p. 138.
- ^ フジテレビ調査部 1986, p. 131.
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- ^ 『DELUXEマガジンORE』1987年10月号、講談社、145-147頁。
- ^ まいどおニャン子 1987, p. 106.
- ^ 「※AKB調べ」2014年11月13日放送分より。
- ^ フジテレビ調査部 1986, pp. 150–151.
- ^ フジテレビ調査部 1986, pp. 151–152.
- ^ 小川 1988, p. 139.
- ^ 田中 2018, p. 242.
- ^ 藤井陽一 監修『ラグジュアリー歌謡』DU BOOKS、2013年3月1日、103頁。ISBN 978-4-925064-68-2。C0073。
- ^ 田中 2018, p. 118.
- ^ 朝妻 2008, p. 455.
- ^ 稲増 1993, p. 186.
- ^ a b おニャン子白書 1987, pp. 47–48.
- ^ 「『紅白』出場せず」中森明菜の「おニャン子クラブ」嫌い伝説 スタッフに「自分たちが恥ずかしくないの?」
- ^ 稲増 1993, p. 209.
- ^ 安倍寧「'86夏ポップス考 おニャン子現象」『朝日新聞』1986年8月9日付東京夕刊、3面。
- ^ 北川 1999, p. 156.
- ^ “おニャン子クラブがCMで限定復活! 11名再結集し「セーラー服を脱がさないで」を歌い踊る”. オリコン顧客満足度ランキング(運営:oricon ME) (2010年1月21日). 2019年8月13日閲覧。
- ^ 2010年10月5日放送日本テレビ放送網「超豪華!!スタア同窓会 ゲゲゲッ!の再会SP」より
- ^ “メンバーによる紹介動画が公開!「おニャン子結成30周年記念CD-BOX」最新情報”. 2022年8月26日閲覧。
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