樹原亜紀とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 樹原亜紀の意味・解説 

樹原亜紀

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/09 07:11 UTC 版)

きはら あき
樹原 亜紀
プロフィール
生年月日 1969年3月30日
現年齢 54歳
出身地 日本神奈川県
血液型 AB型
公称サイズ(時期不明)
身長 169 cm
スリーサイズ 82 - 60 - 88 cm
活動
デビュー 1985年
ジャンル アイドル
所属グループ おニャン子クラブ
アイドル: テンプレート - カテゴリ

樹原 亜紀(きはら あき、1969年3月30日 - )は、日本の元アイドル。本名、亜紀・ムール神奈川県出身。

女性アイドルグループおニャン子クラブの元メンバーで、会員番号は6番。またおニャン子クラブ内のユニットであるニャンギラスのメンバーでもあった。

人物・来歴

おニャン子クラブの会員番号6番として『夕やけニャンニャン』の初回(1985年4月1日)から出演。『オールナイトフジ女子高生スペシャル』からの初期メンバー。1985年4月18日より週刊文春喫煙事件で一時活動休止していたものの、同月30日放送にて復帰。

立見里歌山本スーザン久美子と並ぶおニャン子の三大色物キャラの一人とされ、高島忠夫の物真似「イェ~イ」が唯一にして最大の持ちネタであった[1]。また、身長が169センチとメンバーの中では一番高く、メンバーと並ぶとその背の高さが目立っていた[2]。身長だけではなく、とんねるずと堂々と渡り合うトークの上手さ、汚れを恐れない捨て鉢ともいえる芸人根性はメンバー中突出していた。アイドル集団・おニャン子クラブの中でブーイングにも負けず、立見と共に色物路線を貫いた[1]

1986年、おニャン子クラブの名越美香立見里歌白石麻子と共に異色ユニットニャンギラスを結成。2枚のシングル(「私は里歌ちゃん」「自分でゆーのもなんですけれど」)をリリース後、1987年3月30日の第5回卒業式でおニャン子クラブを卒業[3]

卒業後は、フリーライターとして活動しオランダ人男性と結婚[1]。現在はロッテルダムに在住し、ロッテルダムの和食レストランでコックとして働いている。2児の母。海外在住ではあるが、おニャン子クラブの同窓会などのイベントにはほとんど参加している。また、今でもメンバー間で交流を続けているとのこと。

2013年NHK連続テレビ小説で放送された『あまちゃん』の時代設定の一部がおニャン子クラブの誕生した1985年となっており、そのためこのドラマ内には自身の会員番号が登場した。

脚注

  1. ^ a b c 「おニャン子メンバー熱血プロファイリング 会員番号6 樹原亜紀」『別冊宝島907 音楽誌が書かないJポップ批評31 おニャン子クラブと永遠のグループアイドル』宝島社、2003年11月28日、31頁。ISBN 4-7966-3691-9。C9473。 
  2. ^ 2013年7月28日にタワーレコード渋谷店で開催されたイベントで本人が語ったところによると、本当の身長は173センチで、「おニャン子時代は身長を小さく公表していた」とのこと。
  3. ^ 「夢をくれた"マドンナ"たちの軌跡がここに! おニャン子クラブクロニクル 1985-1987」『別冊宝島907 音楽誌が書かないJポップ批評31 おニャン子クラブと永遠のグループアイドル』宝島社、2003年11月28日、24頁。ISBN 4-7966-3691-9。C9473。 

外部リンク




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「樹原亜紀」の関連用語

樹原亜紀のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



樹原亜紀のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの樹原亜紀 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS