「マレーシア虐殺報道の奇々怪々」をめぐってとは? わかりやすく解説

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「マレーシア虐殺報道の奇々怪々」(秦郁彦『昭和史の謎を追う』上巻,1993年)をめぐって

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 09:48 UTC 版)

秦郁彦」の記事における「「マレーシア虐殺報道奇々怪々」(秦郁彦昭和史の謎を追う』上巻1993年)をめぐって」の解説

秦郁彦取材入手した関係資料によるとして、1991年3月マラヤ日本軍』を刊行した高嶋伸欣林博史連名中国新聞編集局長あてに、前年から連載されていた御田重宝解説委員当時)の「BC級戦犯」の中の『マラヤ日本軍』の引用ぶりが不当な誹謗・中傷多数事実誤認・歪曲偏見があり、歴史捏造にあたるとの抗議があったとする中国新聞社社内調査委員会作り点検した結果御田改竄否定したが、転記ミスの他、著者意図反す引用・内容改変があり、1,150箇所異同があったと同年10月発表した中国新聞自体は既に同年6月には著者意図反す引用ミス・事実誤認があったこと、読者からも同様な指摘があったことを認め、既に確認できた分については訂正したこと、残りについても今後調査進める旨、回答していた。この6月時点でも中国新聞別に改竄については否認しておらず、調査することを約し朝日新聞その通り報道しただけであるが、秦は、これを中国新聞は「微妙な表現ながら故意または悪意改竄否定したもの」、「朝日新聞中国新聞編集局長改竄否認した談話掲載したもの」と表現し、さらに、秦はこれを御田中国新聞・自身改竄否定し高嶋林組だけが改竄と言っているものとの主張をした上で中国新聞高嶋謝罪広告等の要求応じることにしたのは、シロウト中国新聞が1,150箇所という数字驚き戦意喪失したためとの彼自身解釈展開している。(ただし、中国新聞では、1,150箇所の表は単に異同一覧となっていて、点検のために、まずチェックすべき異同のある箇所手始めにまとめただけの一覧表のようにも思われる中国新聞自身本当に過誤が1,150箇所あると考えたか、不明である。また、秦の主張では、肝腎著者意図反す引用・内容改変あったかどうかについては、話が全く消えている。) 秦によればこのくらい表記問題ありうることで、高嶋主張あら捜し言いがかりレベルであり、これを問題にすれば、秦自身含めほとんどの物書き出版社改竄者の汚名を着ることになるとしその上で高嶋にもこの種の表記問題はあり、むしろ密度は彼らの方が高いと主張している。なお、秦が指摘する中国新聞誤りとして取り上げられたものの例を見る限りあら捜しレベルにも思えるが、本当にそういった内容だけに尽きるのかは、秦の著述では不明である。もともと御田記者連載は、郷土出身部隊BC級戦犯問われた者を中心にその悲劇対象として、その性質上彼らの弁明紹介・擁護する性質強くなりがちであるが、によれば、この記事内容は(原著で)書いていないことをさもかいてあるかのようにしている、全く違う時期出来事をもってきて同時期のことであるかのように見せる、括弧使って引用文あるかのように書いている場合語句文節落した書き換えたりして、その結果、違う意味になっていることがあまりにいとするまた、高嶋証言者の粛月嬌14歳の年が9歳となっていることを、読者証言信憑性疑問持たせかねないとして特筆大書すべき問題点としているくらいだから、後は押して知るべし」と、秦は主張している。しかし、これは、御田引用した証言のまとめ部分原文14歳となっている部分ことさら削っておきながら、わざわざ別のところで証言者を9歳として事実違えて紹介し、さらに別の箇所ではまた別の6歳の子供の証言子供であるから信憑性を疑うべきであるかのようなことを述べている事から、意図的に行ったではないかと、側が疑ったのである。秦は、さらに別の証言者について、自身もある翻訳本では6歳としていながら他の著作本では8歳としていると指摘するが、これは当時華人社会慣習による数え年年齢表記満年齢へ単に直し忘れたものと考えられ同視できない。なお、秦は自身論争によく巻き込まれるとする南京虐殺について、板倉由明その際一貫して信頼し続けた研究仲間とし、資料入手共同作業多々世話になったとしているが、その板倉は、南京虐殺めぐって新路口事件日本軍南京占領の際に南京市南部市街地一家11人が惨殺され事件で、マギー神父東京裁判証言したことで広く知られ、この南京虐殺をめぐる論争で、重要な争点一つとなった事件)について同事件の発生自体否定しており、その論拠として、 生き証人である生存者当時8歳の子であったことをその証言信憑性を疑う重要な根拠一つ挙げている。なお、秦自身他ならぬこのマレーシア虐殺をめぐる論文中の別の箇所で、6歳の子どもの証言については、日本兵赤ん坊を投上げて落ちて来るところを銃剣刺し殺したとする証言を、証言者が6歳幼児だから、殺されたのは事実でもそのような殺しであった疑問だと主張している。

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