「マレーシア虐殺報道の奇々怪々」(秦郁彦『昭和史の謎を追う』上巻,1993年)をめぐって
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「秦郁彦」の記事における「「マレーシア虐殺報道の奇々怪々」(秦郁彦『昭和史の謎を追う』上巻,1993年)をめぐって」の解説
秦郁彦が取材で入手した関係資料によるとして、1991年3月『マラヤの日本軍』を刊行した高嶋伸欣・林博史の連名で中国新聞編集局長あてに、前年から連載されていた御田重宝解説委員(当時)の「BC級戦犯」の中の『マラヤの日本軍』の引用ぶりが不当な誹謗・中傷、多数の事実誤認・歪曲と偏見があり、歴史の捏造にあたるとの抗議があったとする。中国新聞社は社内で調査委員会を作り、点検した結果、御田は改竄を否定したが、転記ミスの他、著者の意図に反する引用・内容の改変があり、1,150箇所の異同があったと同年10月発表した。中国新聞自体は既に同年6月には著者の意図に反する引用ミス・事実誤認があったこと、読者からも同様な指摘があったことを認め、既に確認できた分については訂正したこと、残りについても今後調査を進める旨、回答していた。この6月の時点でも中国新聞は別に改竄については否認しておらず、調査することを約し、朝日新聞もその通り報道しただけであるが、秦は、これを中国新聞は「微妙な表現ながら故意または悪意の改竄は否定したもの」、「朝日新聞も中国新聞の編集局長が改竄を否認した談話を掲載したもの」と表現し、さらに、秦はこれを御田・中国新聞・秦自身は改竄を否定し、高嶋・林組だけが改竄と言っているものとの主張をした上で、中国新聞が高嶋・林の謝罪広告等の要求に応じることにしたのは、シロウトの中国新聞が1,150箇所という数字に驚き戦意喪失したためとの彼自身の解釈を展開している。(ただし、中国新聞では、1,150箇所の表は単に異同一覧となっていて、点検のために、まずチェックすべき異同のある箇所を手始めにまとめただけの一覧表のようにも思われる。中国新聞自身が本当に過誤が1,150箇所あると考えたか、不明である。また、秦の主張では、肝腎の著者の意図に反する引用・内容の改変があったかどうかについては、話が全く消えている。) 秦によれば、このくらいの表記の問題はありうることで、高嶋・林の主張はあら捜しか言いがかりのレベルであり、これを問題にすれば、秦自身も含めほとんどの物書きや出版社は改竄者の汚名を着ることになるとし、その上で、高嶋・林にもこの種の表記の問題はあり、むしろ密度は彼らの方が高いと主張している。なお、秦が指摘する、中国新聞の誤りとして取り上げられたものの例を見る限り、あら捜しのレベルにも思えるが、本当にそういった内容だけに尽きるのかは、秦の著述では不明である。もともと御田記者の連載は、郷土出身部隊のBC級戦犯に問われた者を中心にその悲劇を対象として、その性質上彼らの弁明を紹介・擁護する性質が強くなりがちであるが、林によれば、この記事内容は(林の原著で)書いていないことをさもかいてあるかのようにしている、全く違う時期の出来事をもってきて同時期のことであるかのように見せる、括弧を使って引用文であるかのように書いている場合に語句や文節を落したり書き換えたりして、その結果、違う意味になっていることがあまりに多いとする。また、「高嶋・林が証言者の粛月嬌14歳の年が9歳となっていることを、読者に証言の信憑性に疑問を持たせかねないとして特筆大書すべき問題点としているくらいだから、後は押して知るべし」と、秦は主張している。しかし、これは、御田が引用した証言のまとめ部分で原文が14歳となっている部分をことさら削っておきながら、わざわざ別のところで証言者を9歳として事実と違えて紹介し、さらに別の箇所ではまた別の6歳の子供の証言を子供であるから信憑性を疑うべきであるかのようなことを述べている事から、意図的に行ったのではないかと、林側が疑ったものである。秦は、さらに別の証言者について、林自身もある翻訳本では6歳としていながら他の著作本では8歳としていると指摘するが、これは当時の華人社会の慣習による数え年の年齢表記を満年齢へ単に直し忘れたものと考えられ、同視できない。なお、秦は自身が論争によく巻き込まれるとする南京虐殺について、板倉由明をその際一貫して信頼し続けた研究仲間とし、資料入手や共同作業で多々世話になったとしているが、その板倉は、南京虐殺をめぐって、新路口事件(日本軍の南京占領の際に南京市南部の市街地で一家11人が惨殺された事件で、マギー神父が東京裁判で証言したことで広く知られ、この南京虐殺をめぐる論争で、重要な争点の一つとなった事件)について同事件の発生自体を否定しており、その論拠として、 生き証人である生存者が当時8歳の子供であったことをその証言の信憑性を疑う重要な根拠の一つに挙げている。なお、秦自身も他ならぬこのマレーシア虐殺をめぐる論文中の別の箇所で、6歳の子どもの証言については、日本兵が赤ん坊を投上げて落ちて来るところを銃剣で刺し殺したとする証言を、証言者が6歳の幼児だから、殺されたのは事実でもそのような殺し方であったか疑問だと主張している。
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