レゲエ レゲエの概要

レゲエ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/17 16:36 UTC 版)

レゲエ
様式的起源 リズム・アンド・ブルースジャズブルースソウルミュージックメントカリプソスカロックステディナイヤビンギクミナ英語版ジョンカヌー英語版
文化的起源 1960年代終わりのジャマイカ(特にキングストン
使用楽器 ベースドラムギターキーボードパーカッションサクソフォーントランペットトロンボーン鍵盤ハーモニカなど
派生ジャンル ダンスホールレゲエラガマフィン)、ダブダブ・ポエトリー
サブジャンル
ルーツロックレゲエ#在英レーベルによるレゲエのポピュラー化ニュールーツ
融合ジャンル
メントレゲエ、ジャングルレゲトンレゲエフュージョン英語版セゲエ英語版2トーンサンバヘギ英語版ラガヒップホップジャワイアン
地域的なスタイル
イギリスポーランドアフリカナイジェリア・レゲエ英語版オーストラリアニュージーランドラテンアメリカ日本フィリピンなど
関連項目
ラスタファリ運動サウンドシステムトースティングダブプレートジャマイカ・クレオール語
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狭義のレゲエは直接的には同じくジャマイカのポピュラー音楽であるスカロックステディから発展したが、ジャマイカのフォーク音楽であるメント[注釈 2]や、アメリカ合衆国リズム・アンド・ブルーストリニダード・トバゴ発祥のカリプソラスタファリアンの音楽であるナイヤビンギコンゴ発祥のクミナ英語版西アフリカ発祥のジョンカヌー英語版、さらにはマーチなど多様な音楽の影響を受け成立した[2][3][4]

ジャマイカ
キングストン

語源

メイタルズのリーダー、トゥーツ・ヒバート(2006年、フランス)

「レゲエ(reggae)」と言う呼称の語源には諸説あるが、「ぼろ・ぼろ布、または口げんか・口論」という意味を表すジャマイカ英語スラング、パトワ語で「レゲレゲ("rege-rege")」が転じたものという説[5]が有力である。

語源にはいくつかの異説がある。歌手のデリック・モーガンは以下のように述べている。

僕達は「ロックステディ」という名前が気に入ってなかったから「ファット・マン」の新しいヴァージョンを作ることにした。オルガンを使って地を這うようなビートに作り直す事にしたんだ。プロデューサーのバニー・リーはその変化を気に入ってくれた。そして彼はオルガンリズムギターで「レゲッ、レゲッ」と聞こえるサウンドを創り出した。バニーはそれを「レゲエ、レゲエ、レゲエ」と呼び、他のミュージシャン達もそう呼ぶようになったのさ[6]

また、「都合のいい女」を意味するジャマイカ・クレオール語(パトワ)のスラング「ストレゲエ ("streggae")」をクランシー・エクルズが略語化したという説もある[6][7]

1968年に史上初めて「レゲエ」という語をタイトルに取り入れた楽曲「ドゥ・ザ・レゲエ英語版」を発表したメイタルズ[6][8]のリーダー、トゥーツ・ヒバートは以下のように語っている。

確かに当時ジャマイカで「ストレゲエ」という言葉はあった。例えば女の子が歩いてる時、誰かがその子を見ながら「なあ、あの子はストレゲエだな」なんて言ったりした。彼女はあまりお洒落じゃなくぼろっちいっていう意味さ。まあ、女の子の方も男達に対して同じ事を言ってたんだろうけど。ある日の朝俺と友人達で遊んでる時、俺はこう言ったんだ。「オーケー、レゲエをやろうぜ (Let's do the reggay)」って。それはただ単に口をついただけの意味のない言葉だったんだが、俺達はすぐに「ドゥ・ザ・レゲエ、ドゥ・ザ・レゲエ」と歌いだして、ビートを作っていった。人々は後になってそのサウンドと名前は神から与えられたものじゃないかって言ったね。それ以前にはそういうスタイルの音楽のことを「ブルー・ビート」とか色々な呼び方で呼んでたんだけどね。この話は今ではギネス・ワールド・レコーズにも載ってるって訳だ[9]
レゲエは普通の人々が作ったっていう事だ。判るか?日常を語った音楽であり、ゲットーから生まれたものであり、大衆のものっていう事だよ。毎日の飯のように、ダンスするための音楽としてレゲエが必要だったのさ。レゲエは日々苦闘し、欲しいものも手に入らないレギュラーな人々 (regular people)っていう意味なんだよ[9]

また、ボブ・マーリーはレゲエの語源は「王の音楽」を意味するスペイン語であると主張していた[10]。さらに、「王のために (to the king)」を意味するラテン語「regis」に由来するとする説もある[11]

音楽的特徴

狭義におけるレゲエのアンサンブル、およびレゲエバンドにおいて使用される楽器は、ドラムセットベースギターキーボードパーカッション、そしてトロンボーンサキソフォーントランペットによって構成されるホーンセクションである[12]

最も特徴的な演奏様式はドラムとベースによるリズム隊によって形作られる特有のグルーヴを中心に、リズムギターやキーボードが第2、第4拍目にアクセントを置きオフビートを刻むものである[12]。これはクラーベをリズムの基本にするドミニカ共和国メレンゲマルティニークズークセントルシアビギン英語版などの近隣のカリブ海地域の音楽とは全く異なる演奏様式である[13]

レゲエのリズムはしばしばレギュラービートシャッフルビートを同居させ、ポリリズムを形成する[14][15]BPMは72から92の間であることが多く[15]、音数は少ないものの隙間でグルーヴを感じさせるように演奏される[16]。またレゲエのリズムのことをジャマイカ英語で「リディム」と言い、しばしば曲名だけではなくリディム自体にも名前がついている。

1970年代におけるボブ・マーリーの世界的ヒットなどを経て、レゲエの演奏様式はアフリカラテン・アメリカアジアなど世界の様々なポピュラー音楽にも取り入れられて演奏されるようになった。また、ジャズロックヒップホップなど異なるジャンルとの融合や、レゲエ風アレンジも多く見られる。

楽器と奏法

ドラムス

スライ・ダンバー(1979年)

標準的なドラムセットが使用されることが多い。スネアドラムはしばしばティンバレスのような非常に高い音にチューニングされ、演奏ではリム・ショットが多用される。また、ロックやポップスなどと異なりシンバルを使ったフィルインはあまり用いられず、ハイハットを叩く際はアクセントをつけず平板なビートを刻むことが多い[15][17][18]

レゲエにおけるドラムビートは、「ワンドロップ (One Drop)」、「ロッカーズ (Rockers)」、「ステッパーズ (Steppers)」などに分類することができる。

ワンドロップ
1拍目にアクセントがなく、3拍目のみがスネアドラムのリムショットとバスドラムによって強調される[19]カールトン・バレットが開発したとされるこのリズムは[注釈 3][19]、レゲエを特徴づける要素の一つである[19]。代表的楽曲はボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズの「ワン・ドロップ (One Drop)」など。
フライング・シンバル
ワンドロップのドラムに、通常はギターやキーボードが強調する2拍目、4拍目をハイハットのオープンショットによって強調する奏法[20]。1974年にカールトン・サンタ・デイヴィス英語版が開発し、1975年まで流行した[20]。代表曲はジョニー・クラーク英語版「ムーブ・アウト・オブ・バビロン (Move Out of Babylon)」など[20]
ロッカーズ
ルーディメンツを下敷きにしたマーチングバンド風のフレーズをスネアドラムで叩く。その戦闘的にも聞こえるビートから「ミリタント・ビート」とも呼ばれている[21]スライ・ダンバーによって開発された[21]。代表的楽曲はマイティ・ダイアモンズ「アイ・ニード・ア・ルーフ (I Need A Roof)」(1976年)など。
ステッパーズ
スライ・ダンバーが開発した4拍子の4拍すべてに固い4つ打ちのバスドラムを打つリズムである[22][23]。代表的楽曲はボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズ「エクソダス」など。この曲でカールトン・バレットは、4分の4拍子を刻む4つ打ちのバスドラムに8分の6拍子を刻むハイハットの3連打を絡めている。

ベース

ロビー・シェイクスピア(1978年)

標準的なエレキベースが使用されるが、極端に重低音を強調した音にチューニングされる[24]。 レゲエにおいてベースはうねるようなベースラインを繰り返し、転調も少ない[24]

ギター

アール・チナ・スミス(2009年、スウェーデン)

標準的なエレキギターが使われることが多いが、アコースティックギターが使用されることもある。 レゲエにおいてギターはカッティング奏法で2拍目・4拍目のオフビートを強調することが多い[16]。カッティング奏法といってもファンクのように空ピック[注釈 4]を多用することはなく[16]、所々で空ピックや実音で引っ掛けるフレーズでスイングを演出する[16]。バンドによってはカッティング奏法を担当するリズムギターブルース風やロック風のメロディリフの演奏を担当するリードギターの二本を用意することもある。

パーカッション

パーカッションとしては、ボンゴカウベルシェイカービンギ・ドラムギロクラベス等が使用される。1990年代以降ではAKAI MPC等のサンプラーが使用されることもある。

ボーカル

レゲエには多彩なボーカルスタイルが存在する。ソロ・シンガーボーカル・デュオ[注釈 5]ボーカル・トリオ[注釈 6]ディージェイ[注釈 7]、シンガーとディージェイのデュオ[注釈 8]、ディージェイ同士のデュオ[注釈 9]などである。

なお、レゲエ特有の歌唱法としてはディージェイによるトースティング、ディージェイとシンガーの中間的歌唱法であるシングジェイ英語版がある。

レゲエの歌詞

レゲエは「レベル・ミュージック(rebel music、反抗の音楽)」であるといわれる。その理由はレゲエの歌詞はしばしば社会政治物質主義植民地主義などへの批判や反抗を主題とするからである[25]。これはジャマイカ国民の90%以上が黒人奴隷またはマルーンの子孫であることにより醸成された疎外感や抵抗の歴史、ラスタファリ運動キリスト教バプティスト派の宗教的影響が大きい[25]。しかし、全てのレゲエ・アーティストがラスタファリアンというわけではなく[26]、全てのレゲエの歌詞が反抗的というわけではない。ジャマイカの伝統音楽であるメントと同様のコミカルな歌詞や、フォークロアに基づく説話的歌詞、ゲットーの貧しい暮らしへの嘆き、男女の愛、人生の機微、音楽への陶酔、新しいダンスの方法など、レゲエにおける歌詞の主題は多岐に亘る[25][27][28]

以下、他のポピュラー音楽に比べて特に独自性の高い、レゲエの歌詞の主題について補足する。

ラスタファリ運動

ハイレ・セラシエ1世

特にラスタファリアンのレゲエ・アーティストは、エチオピア帝国最後の皇帝ハイレ・セラシエ1世を「ジャー現人神)」と、ジャマイカのジャーナリスト企業家マーカス・ガーベイ預言者と考え、アフリカ回帰英語版を主義とする宗教的運動であるラスタファリズムを、しばしば作品の主題とする[25]。アーティストは自らを戦士ライオンイスラエル民族になぞらえ、「バビロンと戦いこれを打ち破り、ザイオンに帰還する」などと原理主義的に描写されている[25]

ラスタファリアンでないアーティストもしばしば(黒人の)人種的プライドを誇ったり、反転した価値観[注釈 10]を訴えている[25]

大麻

ピーター・トッシュ(左)とロビー・シェイクスピア(右)(1978年、ジャマイカ)

ラスタファリ運動がジャマイカで流行した1960年代末以降、大麻はレゲエの歌詞の中で頻繁に取り上げられる主題の一つである[29]。ジャマイカにおける大麻は19世紀半ば以降プランテーションでの人手不足を補うため導入されたインド系移民によってもたらされた[注釈 11][注釈 12]。ジャマイカでは大麻は「ガンジャ」や「ハーブ」などと呼称され、「ガンジャ・チューン (ganja tune)」などと称される大麻による効能や瞑想、または大麻が非合法とされているが故の苦難をテーマとした楽曲が多く発表されている[29]。最も古いガンジャ・チューンは1966年ドン・ドラモンドによる器楽曲「クール・スモーク (Cool Smoke)」などである[29]ウェイラーズキャッチ・ア・ファイア』(1972年)のマーリーがガンジャのジョイントをくゆらすジャケットや、ピーター・トッシュ解禁せよ英語版』(1976年)などの作品群のヒットによって、レゲエと大麻の結びつきはジャマイカ以外の国々においても有名なものとなった。しかし一方で、ジャマイカには1913年より施行された危険薬物法 (Dangerous Drugs Act) があり[注釈 13]、大麻の所持、売買、喫煙にはそれぞれに応じた罰金刑、懲役刑が科されている[29][30]。トッシュ、ブジュ・バントンニンジャマンらレゲエアーティストもこの法律を根拠に科刑された経験がある。

ホモフォビア

ブジュ・バントン(2006年、フィンランド)

特に1990年代以降のダンスホールレゲエ楽曲を中心に、レゲエの歌詞にはしばしば異性愛を尊重し、同性愛者などの「性的逸脱者」をバティボーイ英語版などと呼び[注釈 14]、激しく批判するホモフォビア的内容のものがある[31]。これら同性愛者批判はジャマイカ国民の大多数を占める保守的キリスト教信者やラスタファリアンが持つ信仰に基づく性倫理観[注釈 15]の影響や、植民地時代が長らく続いたことによる母系社会化と相対的な男性の地位低下等のジャマイカ特有の社会的、歴史的事情の影響がある[32]。また、ジャマイカでは法律 Offences Against the Person Act 第76条、79条によって男性間の性交をはじめとする「性的逸脱」が違法とされており、違反者には10年以下の禁固刑が課せられている[33](その一方、女性間の同性愛行為に対する直接な法的言及はない[34])。

1990年代以降、ブジュ・バントン、エレファント・マンビーニ・マンシズラケイプルトン英語版らがイギリスに本部を置くアウトレイジ!英語版等の同性愛団体・人権団体から差別的発言について抗議を受けていたが[31]2007年には上記のアーティストに加えT.O.K英語版バウンティ・キラー英語版ヴァイブス・カーテルらが、アウトレイジ!らが起こしたキャンペーン「en:Stop Murder Music」との交渉により、今後は同性愛嫌悪を助長する歌詞を歌う事を止め、同性愛者に対する暴力に反対するとの合意書「レゲエ特別配慮規定英語版[注釈 16]に署名[35][36]、その調印書類が同性愛人権活動家のピーター・タッチェルの公式サイトで公開されるなど[37]、一時は両者間が歩み寄りの一歩を踏み出したかのように見られた。しかし、ブジュ・バントンとビーニ・マンは直後にこの署名を否定し[36]、同性愛団体・人権団体との対立が再燃。両団体の抗議により、2人の欧米ライブツアーは幾度も抗議活動に見舞われたり、中止に追い込まれる等[38][39][40]表現の自由と人権問題の狭間を揺れ動く、依然根の深い問題となっている。

一方、2012年7月にレズビアンであることをカミングアウトしたダイアナ・キングは自身の公式Facebookで発表した声明文において、「正直に話すと、オープンに認めることはずっと怖くてできなかった。私のキャリアや家族、愛する人たちにどんなネガティブな影響を与えるか、分からなかったから」、「私がずっと抱いていた深い恐怖、それはジャマイカの人たちが長年のホモフォビアによって私を受け入れないということ。」、「私のような人たちを毎日のように迫害し、打ちのめし、牢獄に入れ、強姦し、殺してきたという不快な現実を、私はこれまでずっと、あまりにも多く見てきた。ただ自分自身であろうとする人たちを、あるいは、ただそうと疑われただけの人たちを」と語り、このように同性愛者に差別的なジャマイカにおける政治的/文化的土壌を批判している[41][42][34]

非一貫性

ジミー・クリフ(1997年)

レゲエの歌詞には「ルードボーイ」、「ラガマフィン」、「ギャングスタ」、「バッドマン」など不良悪漢を意味する語がしばしば現れる。ルードボーイとラスタは必ずしも対立する概念ではなく、実際には多くのアーティストがルードボーイであり同時にラスタでもあるが、そのような非一貫性はレゲエの歌詞に頻出する主題の一つである[25]

例えばジミー・クリフの楽曲「ザ・ハーダー・ゼイ・カム」では、曲の前半で生ある内の救済を希求しながら、後半ではむしろ死による救済を願う内容になっている[43]。また、ボブ・マーリーはあらゆる人種間の平和を願う「ワン・ラヴ/ピープル・ゲット・レディ」と同じ黒人であってもラスタファリアンでないものを非難する「クレイジー・ボールドヘッド (Crazy Baldhead)」という相反する内容の楽曲を発表している。

しかしながら、アフリカン・ディアスポラと植民地時代の奴隷経験によって培われたこの非一貫性、二重性は必ずしも(特にジャマイカの)レゲエアーティストの中で矛盾として受け取られておらず、レゲエの歌詞の特徴の一つとなっている[25][44]

サウンド・チューン

後述するように、ジャマイカの音楽はサウンド・システムダブ・プレートというそのサウンド・システム独自のレコードをかけ、互いに競い合う文化がある。そのため自分のサウンドを称えたり、相手のサウンドをけなしたりする曲が古くはレゲエ以前の時代からリリースされていた。そのような曲のことを「サウンド・チューン (sound tune)」、または「サウンド・アンセム (sound anthem)」と呼ぶ。

最古のサウンド・チューンはプリンス・バスターによる「Three Against One」や「The King, The Duke And The Sir」(ともに1963年発表のスカ楽曲)である[45]。しかし、それ以前から各サウンドシステムはアメリカ合衆国産のレコードをサウンド・チューンとしてプレイしていた。例えばコクソン・ドッドのサー・コクソンズ・ダウンビート (Sir Coxsone's Downbeat)は、アメリカ合衆国のリズムアンドブルースグループ、ウィリス・ジャクソン楽団1951年に発表した「レイター・フォー・ザ・ゲイター (Later For the 'Gator)」を「コクソン・ホップ (Coxsone Hop)」と勝手に改名した上で島内で独占的にプレイし、1950年代の間人気を博していた[46]

言語

特にジャマイカでは、レゲエの歌詞はジャマイカの公用語である英語ではなく、ジャマイカ・クレオール語パトワ)で歌唱されることが多い[47][48]。これについて、ダブポエットオク・オヌオラ英語版は「パトワとレゲエは同じリディムを持っている。人々のリディムだ。英語をレゲエのビートに乗せたとしても上手くいかない。そのときはリディムが変わってしまうだろう」と発言している[47]。日本のNAHKIや、ドイツのジェントルマン、イタリアのアルボロジー英語版ら、ジャマイカ出身やジャマイカ系でないアーティストがパトワで歌唱するケースも少なくない。一方で、パトワは英語を母語としている者にとっても聴き取りが難しいため、シャギーなどはジャマイカ人であっても、国際的市場を意識し主に英語で歌唱している[49]。また、しばしば「アイヤリック (Iyaric)」などと呼称されるラスタファリアン特有の語彙が使用される[50]


注釈

  1. ^ レゲエにおけるカッティング奏法のことをスキャンク (skank) という。
  2. ^ ジャマイカでは慣例的にメントを「カリプソ」とも称するが、メントとトリニダード・トバゴのカリプソとは異なる音楽ジャンルである。
  3. ^ 「ワンドロップ」の開発者としては、バレットの他にウィンストン・グレナン英語版、ヒュー・マルコム (Hugh Malcolm)、ジョー・アイザックス (Joe Isaacs) が言及される。
  4. ^ 左手で弦に軽く触れた状態でピッキングすること
  5. ^ メイトーンズ英語版アイタルズ英語版ブライアン&トニー・ゴールド英語版など。
  6. ^ カルチャー (バンド)ジャスティン・ハインズ&ザ・ドミノスなど。
  7. ^ DJ、Deejay。本項ではラジオパーソナリティ選曲者と区別するためトースティングをする者を「ディージェイ」と表記する。
  8. ^ チャカ・デマス&プライヤーズ英語版など
  9. ^ クリント・イーストウッド&ジェネラル・セイント英語版ミチガン&スマイリー英語版など。
  10. ^ ガンジャやルードボーイの称揚や暴力的な反抗・抵抗など
  11. ^ 「ガンジャ (ganja)」、「カリ (collie)」(以上大麻のこと)「チラム (chillum)」(大麻用吸引具の一種のこと)、などはヒンディー語を語源としている。鈴木 (1995)
  12. ^ 中央アフリカのコンゴ系奴隷から伝わったという異説もある。鈴木 (1995)
  13. ^ 当初は万国阿片条約締結を受けて、アヘンの取締りを主目的として立法された。鈴木 (1995)
  14. ^ その他の呼称としてはバティマン (batty man)、チチマン(chi chi man)、ソドマイト(sodomite)、ファゴット(faggot)、プンハイ・マン(pungai man)などがある。ドナ・P・ホープ「ホモは死ぬべきだ」、森本 (2008, p.36)
  15. ^ レビ記18:22「あなたは女と寝るように男と寝てはならない。これは憎むべきことである」をはじめ、「レビ記」20:13「女と寝るように男と寝る者は、ふたりとも憎むべき事をしたので、必ず殺されなければならない。その血は彼らに帰するであろう」や「創世記1:28および29「神は彼らを祝福して言われた、『生めよ、ふえよ、地に満ちよ、地を従わせよ。また海の魚と、空の鳥と、地に動くすべての生き物とを治めよ』」「 神はまた言われた、『わたしは全地のおもてにある種をもつすべての草と、種のある実を結ぶすべての木とをあなたがたに与える。これはあなたがたの食物となるであろう』」、「ローマの信徒への手紙1:26-27「それゆえ、神は彼らを恥ずべき情欲に任せられた。すなわち、彼らの中の女は、その自然の関係を不自然なものに代え、男もまた同じように女との自然の関係を捨てて、互にその情欲の炎を燃やし、男は男に対して恥ずべきことをなし、そしてその乱行の当然の報いを、身に受けたのである」といった聖書の記述は同性愛嫌悪の根拠としてしばしばレゲエの歌詞に引用される。ホープ、森本 (2008, p.33)
  16. ^ 森本は同合意書を「レゲエ思いやりの決意表明」と訳している。
  17. ^ 選曲者の意。1970年代まではオペレーター (operator) と呼ばれることもあり、セレクターとの区別はなかった。
  18. ^ レーベルは1957年に創業開始。
  19. ^ JBCは1958年に国営化、1987年再び分割民営化され、ラジオ部門はRJRに吸収合併された
  20. ^ ZQIが民営化
  21. ^ 同楽曲のプロデューサーは後にジャマイカの首相となるエドワード・シアガである。
  22. ^ その多くは7インチ盤で流通している。
  23. ^ 独立記念行事である「フェスティバル」は独立の翌年1963年より開催
  24. ^ ダブの発明者はリー・ペリー、またはエロル・トンプソンとする異説もある。
  25. ^ 当初はウェイラーズとしてデビューしたが、1974年に大幅なメンバーチェンジが行われ、表記のバンド名となった。
  26. ^ 最も速いものでBPM=180程になった。北中 (2007, p.24)
  27. ^ 同部門は1992年より「ベスト・レゲエ・アルバム部門」と改名された。
  28. ^ ただし「ダブ・ポエトリー」という呼称は1979年、ジャマイカの詩人オク・オヌオラによって名づけられた。鈴木 (2000, pp.90 - 92)
  29. ^ 例えば、1999年の西インド諸島大学全学部における男性:女性の割合は28:72である。大西, (2001, p.10)
  30. ^ サンズ・オブ・ニガスのリーダーのラス・マイケル英語版とは別人。

出典

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