Phantasmal Islandの歴史
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「Phantasmal Island」の記事における「Phantasmal Islandの歴史」の解説
学内サーバ時代 当初は大学の研究から始まったこともあり、その活動は学内サーバが中心であった。 ファンタズマル諸島の首都を中心にいくつもの学内サーバが接続され、多くの世界が接続していた。 初期のDMではFoodを食べないと飢餓状態になるなどの仕様もあったようである。 個人サーバ時代(1990年代後半) 大学時代にPhIに触れたユーザーが卒業後も独自にサーバ(世界)を立ち上げ始める。 首都(Capital of Phantasmal Island)のゲート接続が自由だった事もあり、サンプルDMから接続し首都をハブにしてプレイヤーが行き交い始めるようになり、NEV等の大型の世界も登場し始める。 既にβ-Yak-38や初期の開発メンバーの多くはPHIコミュニティでは隠遁状態であったが、多くの有能な有志によりPHIの開発や運営は継続され、当時、まだ国内でオンラインゲームというジャンルがマイナーであった中で、完成度が高く、無料でプレイできるオンラインゲームということで順調にユーザーを増やしていった。 PSPサーバ、RSPサーバ時代(2000年頃) 学内サーバ、個人サーバを経て、PHIは商用サーバの時代に突入する。 PHIは個人でゲームサーバを公開できるが、自宅サーバではIPが非固定、運用管理が大変、そして、アナログ回線やISDNなどのナローバンドが中心であった当時では回線スピードが遅いといった問題があった。また専用サーバをレンタルする手もあったが、個人・一世界では割高という問題もあった。 そこで、同志で資金をカンパし、グループでサーバをレンタルし、そのサーバを使用してメンバーが自分の世界を起動させ、公開するという活動が始まった。こうしてある一つのサーバを使用して公開された世界群を「○○サーバ」と呼び、特に、DMやクライアントの開発も行うサーバグループを「○○サーバ・プロジェクト」と呼んだ。 これらサーバプロジェクトの中でも、Alephを中心として立ち上げられたPSP(Phi Server Project)と、Rintaを中心とした有志によって立ち上げられたRSP(Rinta Server Project)の2大プロジェクトによってPHIは隆盛を極めた。 PSPは東方大陸と呼ばれ、Northern Eluto Valley(ノーザンエルトバレイ・通称NEV)を首都として位置づけ、NEVを中心に巨大な大陸を構成した。また、RSPはSeven Tower(通称七塔)を首都として、多くの国が浮上していた。 RSPは、基本的に従来通りのPHIのスタンスで運営され、世界観や運営方針は各世界のマスターの自由であり、原則サーバ管理者やコミュニティメンバーは他の世界のマスターの運営に口を出さない、といった方針がとられていた。 逆にPSPは、それまでの世界接続がゲート接続中心であり、接続された世界の世界観などはばらばらであったPHIにおいて、平面接続による1つの大きな大陸として接続が構成されていたことが特徴的であり、また、その接続された国が世界観を共有し、クエストなどで密接に絡み合っていたという特徴があった。特に、AlephはPHIの宣伝に積極的であり、グラフィックが大幅に向上したWindows用クライアントのMPHIを全面的に推し出して宣伝活動を行い、ネットランナーやオンラインゲーム紹介ムック本にPHIが紹介されることもあった。 これにより、巨大都市であるN.E.V.は常に60人以上、その周辺世界でも40人以上がアクセスしており、2001年末にはついにNEVを始め、その周辺世界でもアクセス者100人を超えるようになり、PHIの歴史の中で最も栄えた時代であった。 しかし、Alephの一部強引な活動に対して疑問や不満を持つ開発者も少なく無く、特にRSPとPSPは、運営方針やPHIのあり方による価値観の違いから一時はお互いの世界接続解消の話も出た。 Rintaもその一人であり、彼は2001年夏にPHIの開発から撤退する(以後、RSPはR's Server Projectと名称を変更する)。 2002年になり、AlephがPHIの開発から撤退、PSPは解散することになる。以前からAlephはPHI-DMにおけるある特許問題に悩んでおり、サーバの管理者は万が一にも訴えられる可能性があり、それを解決する為にはホストとなるサーバが存在しないP2P-PHIの開発が不可欠であるとし、2002年までにその開発が実現できなければ、PHIから撤退する予定であった。 Alephの撤退・PSPの解散によって、PSPで公開されていた多くの世界は再開日未定のまま沈没(NEVなど、一部の世界は公開終了が確定)し、ゲームコンテンツの激減、ユーザーを呼び込んでいたAlephの宣伝サイトなども軒並み消滅、さらに、リネージュやラグナロクオンラインといった本格的なオンラインゲームが無料で遊べるオンラインゲーム戦国時代に突入したことも影響し、多くのプレイヤーが引退、かつ新規プレイヤーがほぼ0と言う暗黒の時代に突入する。 それから1年後の2003年になりRSPも解散し、かつて国産オンラインゲームとして名を馳せたPHIは、低迷の頂点を極めた。 Ruinusサーバ、PWPサーバ時代(2003年頃) RSP、PSPの解散後も古参プレイヤーによりQBKやJJIが公開されているRuinusサーバや個人サーバは健在であり、一部のプレイヤーはPSP、RSP消滅後も積極的にPHIをプレイしていた。 当初、PSPの一部メンバーによって、PSP世界の一部を引き継いだ新サーバプロジェクトが速やかに発足される予定であったが、権利関係や運営方針などがメンバー間で全くまとまらず、長期間、再開日が未定の状態のままの日々が続いた。 RSP、PSPの解散によってプレイヤー数は激減し、浮上世界数もピーク時の1/2以下となり、新たな世界の浮上もなく長期に渡って低迷の時期を迎える。 しばらくして、Himajinを中心にPWP(Phi World Project)サーバが立ち上がるがPSP時代の東方大陸の一部世界は権利者の関係で浮上することができず、参加している一部世界のみとなった。 それによって、少ない常時アクセス者を、さらに引退させることになってしまう。 しかしながら、PWPが立ち上がったことによりゲームコンテンツは多少増加し、ユーザーの減少のピークは一応の収束を見せる。 Tofupサーバ、Arcanaサーバ時代(2004年頃) 2004年、長らく稼動していたRuinusサーバが解散することとなり、RSPやPSP解散後にRuinusサーバに移動して存続していたLE-SOLEILやGaiarthといった老舗の人気世界も消滅することになった。 しかし、同時期にNEOによってTofup(Tofu-planet server service)サーバが、LeakによってArcana(希望)サーバが立ち上がり、Ruinusからの移行と新たな世界の浮上によって、世界数も増加することとなる。 特にTofupサーバの世界はそのほとんどが新たに制作されたものであったため、既存プレイヤーのアクティブ率が若干上昇する。The United Kingdom NEO、Closed Worshipなど巨大世界も現れ、浮上時には多くのプレイヤーが集まった。 現在もClosed Worshipでは常時30人以上のプレイヤーがアクセスし、一時ほどではないが新規プレイヤーもアクセスするようになっている。 NEOは、2008年現在、PHIの運営に積極的な数少ないコミュニティメンバーであり、自身が制作しているThe United Kingdom NEOのコンテンツ作成にも意欲的であるばかりか、多くのゲームサイトへのPHIの紹介や宣伝活動、及び新規世界作成者やGM、サーバのプロジェクトメンバーを広く募集するなどの活動を行っている。
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