1981年版『うる星やつら』とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 1981年版『うる星やつら』の意味・解説 

1981年版『うる星やつら』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 06:37 UTC 版)

うる星やつら (アニメ)」の記事における「1981年版『うる星やつら』」の解説

1981年10月14日から1986年3月19日までキティ・フィルムフジテレビ製作(アニメ制作前半スタジオぴえろ後半107130話目以降ディーン)でテレビアニメ化された。全218話。放送時間水曜日19:30 - 20:00原作1巻から29巻までの内容テレビアニメ化されている。 序盤視聴率こそ20%前後好調だったが、つねに半裸少女登場している、登場人物下品なことを言うのを子供マネをする、などの理由フジテレビワースト番組上位常連番組企画者はつねに会議室で謝らされていた。最高視聴率は27.4%(第35/36回ひな祭りランちゃん登場/ランちゃんご招待)。放送初期15分2話形式だったが、原作追いついてしまうため、第3クールより301話形式へとシフトした。そのため「放送回数」と「話数」が異なっている。このシフトもうひとつ理由として押井のギャグセンスを盛り込んだ作品15分中に納まりきれず中途半端唐突な印象与えたため、これを回避するための方策でもあった。 シリーズ前半ではいつ番組打ち切りなるかわからない状態だったため、クール終わりごとにそれらしいエピソード放映されている(第67話君去りし後」、第77話「ラムちゃん主催忘年会」、第87話「さよならの季節」、第101話「みじめ愛とさすらいの母」、第116話「終太郎不幸の朝」、第128話「スクランブル! ラム奪回せよ!!」、第129話「死闘! あたるVS面堂軍団!!」)。 改編期などの特別番組プロ野球中継ヤクルト戦)・バレーボールワールドカップ中継のため放映休止がたびたびあり、後期1984年・1985年にその傾向顕著となったその結果、約3年9か月分・全195回の放映4年半を要した劇場版2作目の『ビューティフル・ドリーマー』の作成時期には、主要スタッフ映画作成まわされ総集編の回が5回ほどあった。 当初チーフディレクターCD)は当時スタジオぴえろ社員だった押井守。押井によると、スタジオぴえろは『太陽の子エステバン』と『まいっちんぐマチコ先生』に主力スタッフ割かれ制作デスクすらいないという状態で制作始まった放映当初は「原作との違い」などを理由として原作ファンから、カミソリ入った抗議の手紙罵詈雑言録音されカセットテープ多数寄せられ、押井の降板話まで浮上した。しかし、3クール目から体制立て直し文芸制作進行だった伊藤和典抜擢アニメーター自由にやらせたことから、森山ゆうじ山下将仁越智一裕といったメカ描け当時若手実力派アニメーターが集まるようになる制作余裕ができて、次第評価上向いていった。 原作人気加えて先鋭的演出作画から、アニメファンからも注目されるようになり、放送され1980年代には裏番組の『連想ゲーム』(NHK) と列んで水曜夜を代表する番組一つになった若手アニメーターには、西島克彦のように志願して本作参加した者もいた。押井の嗜好により、ギャグネタとして漫画アニメ映画有名人歴史に残る名言などをパロディにした回もある。これらの作品中には当時の局上層部から「やりすぎ」「意味がわからない」と注意をうけた回もあった(押井によると「みじめ! 愛とさすらいの母!?」はフジテレビに一旦納品拒否されたが、放送間に合わないことから結局納めたという。この時、押井は局長室に呼びだされて厳重注意をうけたという)。 しかし、他のアニメ同様、オリジナル部分入れない原作部分だけでは尺が余るため、アニメスタッフ考えざるを得なかった。 押井は『ビューティフル・ドリーマー公開後1984年3月放映分(第106回/第129話)「死闘! あたるVS面堂軍団!!をもってCD降板した。当時アニメ雑誌で「体力的精神的な限界」と理由述べ同時に所属していたスタジオぴえろからも退社している。このため、第107回から前半部の主要スタッフ一人であるやまざきかずお後半約半分CD担当している。制作会社それまでテレビシリーズグロス請けをしていたディーンへと変更となり、半年間はスタジオぴえろ連名クレジットされている。これらの結果テレビシリーズ前半後半では作風大きく異なっている。音楽でも、オープニングソング、エンディングソングのほとんどを作曲してきた小林泉美同時に降板した。 後半では「原作忠実にしたい」とやまざき当初うたったものの、演出面での押井作品との違いや、作画スタッフなど交替原作人気エピソードのほとんどを消化した、などのさまざまな要因から、結果的に原作完結待たずアニメの方が1年ほど早く放送終了するとなった最終回も、原作ではその後1巻分を使った壮大な追いかけっこ描かれたが、テレビで最終回でなくとも成立するアマテラス宴会」のエピソード絡めて、オールキャラクターが一堂会しドタバタ終わらせる形での終了となる。テレビシリーズ原作終了待たず終わったことは熱烈なうる星ファン顰蹙を買い、プロデューサー落合茂一自宅には毎日のように無言電話チャイム押し逃げなどのいやがらせ殺到した落合は後にこれを「わが人生最悪日々」と語っている。原作最終エピソードボーイミーツガール」はその後1988年劇場版うる星やつら 完結篇』として製作・上映された。 1987年5月にはキティレコード予約限定発売で全話をレーザーディスク50収録して33万円発売予約のみで限定3000セット完売追加した3000セット完売した。これが後にDVD-BOXまで繋がるLD-BOX呼ばれる商品形態第1号であったLD-BOX発売前には『うる星やつら傑作集』というタイトル高橋留美子自選傑作集LDVHD発売されていた。

※この「1981年版『うる星やつら』」の解説は、「うる星やつら (アニメ)」の解説の一部です。
「1981年版『うる星やつら』」を含む「うる星やつら (アニメ)」の記事については、「うる星やつら (アニメ)」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「1981年版『うる星やつら』」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「1981年版『うる星やつら』」の関連用語

1981年版『うる星やつら』のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



1981年版『うる星やつら』のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのうる星やつら (アニメ) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS