1930年代の中性子物理学とは? わかりやすく解説

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1930年代の中性子物理学

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/09 22:39 UTC 版)

中性子の発見」の記事における「1930年代の中性子物理学」の解説

中性子磁気モーメント英語版)」、「エンリコ・フェルミ」、「リーゼ・マイトナー」、および「オットー・ハーン」も参照 中性子発見されてから間もなく間接的な証拠により中性子がその磁気モーメントに対して予期せず0でない値を持っていることが示唆された。中性子磁気モーメント測定する試みは、1933年オットー・シュテルンハンブルクにて陽子異常に大きな磁気モーメント持っていることを発見したことから始まる。1934年までにシュテルン(このときはピッツバーグにいた)とニューヨークI. I. ラービ率いグループ独立に、陽子重陽子磁気モーメント測定することにより中性子磁気モーメントは負であり、予想外に大きいことを推測した中性子磁気モーメントの値は、原子スペクトル超微細構造研究からアナーバーRobert Bacher (1933) とソ連イーゴリ・タムとS.A. Altshuler (1934)によっても決定された。1930年代後半までに、中性子磁気モーメント正確な値は、新たに開発され核磁気共鳴技術使用した測定によりラービグループにより推定された。陽子磁気モーメント大きかったことと中性子磁気モーメントが負と推定されたことは予想外であり、多く疑問提起した中性子の発見は、原子核特性調べるための新たな道具科学者与えたアルファ粒子散乱実験過去数十年にわたり使用されていたが、この粒子ヘリウム原子核であり+2の電荷を持つ。アルファ粒子はこの電荷によりクーロン反発力に打ち勝ち原子核直接相互作用するのが難しくなる中性子電荷持たないため、原子核相互作用するためにこの力に打ち勝つ要はない。中性子の発見とほぼ同時期にチャドウィック同僚であり弟子であるNorman Featherにより窒素用い散乱実験使われた。Featherは、窒素原子相互作用する中性子陽子散乱する窒素崩壊させアルファ粒子放出とともにホウ素形成させることを示すことができた。よってFeather中性子核崩壊引き起こすことを初め示した人物である。 ローマでは、エンリコ・フェルミが重い元素中性子照射し生成物放射性であることを発見した1934年までに、フェルミ中性子使用して22種類元素(この多く原子番号大き元素)の放射能誘起した。フェルミ自身研究室行った中性子による他の実験が、大理石テーブルの上よりも木製テーブルの上の方がうまくいくことに気づき、木の陽子中性子遅らせ中性子相互作用する可能性高めていると考えたそれゆえ中性子パラフィンワックス通し速度落とし照射された元素放射能100倍増加させた。原子核との相互作用断面積高速中性子よりも低速中性子場合はるかに大きくなる1938年フェルミは「中性子照射により生成され新たな放射性元素存在実証、および低速中性子により引き起こされる核反応関連する発見」でノーベル物理学賞受賞したベルリンでは、リーゼ・マイトナーオットー・ハーン助手フリッツ・シュトラスマン協力してフェルミ彼のチーム始めた研究ウラン中性子照射することによりさらに進めた1934年から1938年にかけてハーンマイトナー、シュトラスマンはこれらの実験から多数放射性変換生成物発見した全て超ウラン元素みなした超ウラン核種中性子吸収により形成されウラン(92)より大きな原子番号を持つものであり、自然に発生しない1938年7月アンシュルスの後マイトナーナチスドイツでの反ユダヤ迫害から逃れざるをえなくなりスウェーデン新たな地位確保することができた。1938年12月16-17日に行われた重大な実験(「ラジウム-バリウム-メソトリウム分別」と呼ばれる化学プロセス使用)は不可解な結果もたらした。彼らがラジウム3つの同位体理解していたものは、矛盾なくバリウムとして振舞っていた。ラジウム原子番号88)とバリウム原子番号56)は同じ族である。1939年1月まで、ハーン超ウラン核種考えていたものバリウムランタンセリウム、軽い白金族元素などずっと軽い核種であると結論づけた。マイトナーとその甥オットー・フリッシュは、これらの観察結果核分裂(この用語はフリッシュ造語)から生じたものとすぐに正しく解釈したハーン共同研究者は、中性子吸収により不安定になったウランがより軽い元素分裂することを検出したマイトナーフリッシュは各ウラン原子核分裂が約200 MeVエネルギー放出することも示した核分裂の発見原子物理学者の世界的コミュニティ大衆衝撃与えた核分裂に関する2番目の出版物で、ハーンとシュトラスマンは核分裂過程の間の追加中性子存在遊離予測したフレデリック・ジョリオとそのチーム1939年3月にこの現象連鎖反応であることを証明した1945年、「重い原子核核分裂の発見」で1944年ノーベル化学賞受け取った

※この「1930年代の中性子物理学」の解説は、「中性子の発見」の解説の一部です。
「1930年代の中性子物理学」を含む「中性子の発見」の記事については、「中性子の発見」の概要を参照ください。

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