イーゴリ・タムとは? わかりやすく解説

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イーゴリ・タム

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/25 14:46 UTC 版)

イーゴリ・タム
イーゴリ・タム(1958)
生誕 Igor Tamm
イーゴリ・タム
(1895-07-08) 1895年7月8日
ロシア帝国 ウラジオストク
死没 1971年4月12日(1971-04-12)(75歳没)
ソビエト連邦 モスクワ
国籍 ソビエト連邦
研究分野 素粒子物理学
研究機関 モスクワ大学
レベデフ物理学研究所
出身校 モスクワ大学
エディンバラ大学
博士課程
指導学生
ヴィタリー・ギンツブルク
アンドレイ・サハロフ
主な業績 表面準位
主な受賞歴 ノーベル物理学賞(1958)
プロジェクト:人物伝
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ノーベル賞受賞者
受賞年:1958年
受賞部門:ノーベル物理学賞
受賞理由:チェレンコフ効果の発見とその解釈

イーゴリ・エヴゲーニエヴィチ・タムロシア語: И́горь Евге́ньевич Та́мм〔イーゴリ・イェヴギェーニェヴィチュ・ターム〕、Igor Yevgenyevich Tamm、1895年6月26日ユリウス暦)/7月8日グレゴリオ暦) – 1971年4月12日)はソビエト連邦、ロシアの物理学者である。1953年パーヴェル・チェレンコフイリヤ・フランクチェレンコフ効果の発見とその解釈の功績によりノーベル物理学賞を受賞した。またアンドレイ・サハロフとともにトカマク型のプラズマ閉じ込めの方式を考案した。

経歴

ウラジオストックに生まれた[1]1913年から1914年エジンバラ大学で学んだ後[2]モスクワ大学を1918年に卒業した[1]1924年から1934年までモスクワ大学の教官を務めた[2]1934年のチェレンコフによる液体中のガンマ線の通過による発光現象の発見をうけて、1937年イリヤ・フランクとこのチェレンコフ放射を理論的に説明した[2]。この功績で1958年にノーベル物理学賞を受賞した[1]。後に核融合の研究を行うレベデフ物理学研究所で研究し、トカマク型の核融合炉の開発を行った[2]

ノーベル賞のほか、1967年ロモノーソフ金メダルを受賞している[2]

逸話

タムの孫であるレオニード・ベルンスキイは、祖父から聞いた思い出としてドラマチックな逸話を証言している。タムがロシア内戦中の1920年に、白軍の支配地域であったクリミアから、赤軍が解放していたエリザヴェトグラードへと脱出しようとしたときことである。道中で空き家をみつけて夜を明かしていたタム一行だったが、赤軍の一隊に見つかり拘束された。白軍のスパイとみなされ処刑されるところだったが、赤軍の部隊長は大学を中退しているが学のある人間で、タムが自分はモスクワ大学の物理・数学部出身であることを明かすと、タムを試そうとした[3]

— Ах, ты — математик! Врешь, наверное? Но мы тебя проверим. Вот! Выведи мне формулу разложения функции в ряд Тейлора. И вид остаточного члена! Сумеешь — освободим. Не сможешь—тебя с твоим приятелем — к стенке.


— ほう、お前が数学者とはね!ウソじゃないだろうな?じゃあ問題をくれてやろう。テイラー展開の公式を導出してみろ。剰余項もだぞ!できたなら自由にしてやろう。できなければ仲間もろとも銃殺だ。[3][注 1]

鉛筆と紙を与えられたタムは、ろうそくを灯して夜明けまでかけて取り組んだものの完全に成功することはできなかった。しかし部隊長はタムに学識があることを認め、また、自分は大学をやめて久しいので答えがあっているのかはそもそもわからなかったと明かしたという[5]。タムは銃殺こそまぬがれたものの結局解放されず、チェーカーに引き渡されるはずだったが、移送先で訪ねることのできた知人の身元保証により解放された[5]

外部リンク

脚注

注釈

  1. ^ 同じような逸話がジョージ・ガモフの自伝でも紹介されている。ガモフもタム本人から聞いた話としているが、タムの孫のベルンスキイの証言とは細部がくいちがっている。例えばガモフによれば、タムをとらえたのは赤軍ではなくマフノーの一団で、その首領がタムに課す試験は「マクローリンの級数を第n項で切った時の誤差範囲は何かいってみろ。」である[4]

出典

  1. ^ a b c Igor Y. Tamm – Biographical”. NobelPrize.org. Nobel Prize Outreach. 2025年5月5日閲覧。
  2. ^ a b c d e Igor Yevgenyevich Tamm”. britannica.com. Encyclopædia Britannica, Inc. (2025年4月8日). 2025年5月5日閲覧。
  3. ^ a b Вернский Л. И. (1995). В кабинете и вне его. (Из разговоров с дедом и из семейного архива). In Воспоминания о И. Е. Тамме. М.: ИздАТ, С. 108.
  4. ^ ジョージ・ガモフ 著、鎮目恭夫 訳『わが世界線=ガモフ自伝』白揚社〈ガモフ全集 第13〉、1971年、33-34頁。doi:10.11501/2422331 
  5. ^ a b Вернский Л. И. (1995). В кабинете и вне его. (Из разговоров с дедом и из семейного архива). In Воспоминания о И. Е. Тамме. М.: ИздАТ, С. 109.



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