1930年代の世界恐慌について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/15 09:21 UTC 版)
「通貨安競争」の記事における「1930年代の世界恐慌について」の解説
通貨安競争は1929年に始まった世界恐慌時に初めて行われたとされている。1931年から1932年にかけて、イギリスがポンドを切り下げたのをきっかけに、1936年の三国通貨協定まで多くの欧州諸国が追随して通貨を切り下げる事態となった。これにより、世界貿易は縮小し世界経済は一段と悪化したとされてきた。ただし、この通貨安競争が1930年代の景気の後退要因になったとの説は2010年現在では否定的に見られていると主張するものもいる。 1930年代に恐慌が世界に伝播したのは、各国が為替切り下げ競争を行ったからではなく、各国が自国為替レート維持のために金本位制に固執し、結果として自国の貨幣収縮を自ら招き寄せてしまったからである。 バリー・アイケングリーンとジェフリー・サックスによれば、1930年代に発生した通貨安競争は世界の貿易や経済を縮小させた直接的原因ではなく、世界的な拡張的金融政策が世界恐慌からの離脱の契機になったと分析している。1930年代の金本位制下の世界経済において、金本位制の段階的離脱を伴った為替切り下げ競争はむしろ大恐慌からの回復の契機となったことを示唆した。彼らによれば、ある国が通貨の切り下げをすると、短期的には外国はマイナスの影響を受けるが、外国も金融緩和する。すると両国ともにインフレーション率が高くなるが、両国ともに許容できるインフレ率に限界があるため際限のないインフレにはならず、金融緩和競争はいつまでも続かないという。金融緩和策を伴う為替レートの切り下げが、自国の金融緩和を通じた内需増加と、為替レート切り下げを通じた外需増加をもたらすかぎり成り立つ。ただし、これは1930年代の恐慌と為替切り下げ競争の関係について述べたものであって、為替切り下げ競争そのものを肯定しているわけではない点に注意を要する。 アイケングリーンはバリー・アーウィンとともにリーマン・ショック以降の状況についても論説「How to prevent a currency war(いかに通貨安競争を防ぐか)」を出しているためこの通貨安競争が常に良い結果をもたらすと主張しているわけではない。 アイケングリーンやベン・バーナンキらより一世代前の大恐慌研究家に当たるチャールズ・キンドルバーガーは、通貨切り下げ競争はデフレの原因であったとしていた。これは当時の国家間の「非対称性」という個別事情に起因するもので、1926年には英ポンド高仏フラン安が生じ、金塊がイギリスからフランスに移動したが、その結果これまで対外貸し出しに積極的だったイギリスは貸し出しを抑制し、一方で対外貸し出しを嫌っていたフランスは貸し出しを増加しなかった。そこでフランの切り下げはこの非対称性のもとでデフレ効果を生んだとする。
※この「1930年代の世界恐慌について」の解説は、「通貨安競争」の解説の一部です。
「1930年代の世界恐慌について」を含む「通貨安競争」の記事については、「通貨安競争」の概要を参照ください。
- 1930年代の世界恐慌についてのページへのリンク