10.19の悲劇とは? わかりやすく解説

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10.19

(10.19の悲劇 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/20 07:49 UTC 版)

10.19(じってんいちきゅう)は、1988年10月19日川崎球場神奈川県川崎市川崎区)でダブルヘッダーにより行われた、日本プロ野球パシフィック・リーグ(以下「パ・リーグ」)の近鉄バファローズ(以下「近鉄」)[注 1]ロッテオリオンズ(以下「ロッテ」)[注 2] 第25・26回戦を指す通称である。


注釈

  1. ^ 2004年オリックス・ブルーウェーブ球団合併され消滅した。現在のオリックス・バファローズの前身球団の一つにあたる。
  2. ^ 現在の千葉ロッテマリーンズ
  3. ^ a b c 偵察メンバー
  4. ^ ブライアントは父親が危篤状態だったが日本に残って試合に出場している。
  5. ^ 有藤はNHKドキュメントで「あの抗議は、結果としてはしない方がよかった」などと述べている一方で、Sports Graphic Numberより発刊されたこの試合のビデオでのインタビューでは、同様の発言に加えて「白黒ハッキリした方が良かった」発言を二転三転させている。
  6. ^ 2012年に5分間以上抗議を続けると遅延行為で退場処分になると規定された。
  7. ^ 当時の1位は1969年10月10日の近鉄対ロッテ戦(日生)の7時間37分
  8. ^ 近鉄が2連勝していた場合は75勝52敗3分 勝率.591
  9. ^ 西武ライオンズの前身球団(西鉄→太平洋クラブ→クラウンライター)の本拠地だった。
  10. ^ かつてロッテオリオンズが本拠地としていた(ジプシー・ロッテを参照)。
  11. ^ 当日の関西地方向けの番組表では、『ハーイあっこです』の欄に「(6:50~7:20ロッテ×近鉄中継の場合あり)」、『たけしのスポーツ大将』の欄に「(8:00~8:54ロッテ×近鉄中継の場合あり)」と記されていた。
  12. ^ ライターの山村基毅は『Number』211号内の記事「近鉄、130試合目の悲劇」の中で、編成局長の小田久栄門が電話で指示を出したとしている。
  13. ^ 当初放送予定の第2回は翌週と翌々週を予定通りに放送したうえで、3週間後の11/9に変更。以降の放送スケジュールは1週ずつ繰り下げられ、最終的に予定から1回減となった。
  14. ^ 一部のネット局では、21:54で中継をいったん終了。テレビ朝日では、『世界の車窓から』(本来は21:54から放送する富士通単独提供のミニ番組)も休止する措置を講じた。
  15. ^ 当日は、朝からリクルート事件におけるリクルート社などへの強制捜査が行われたほか、午後には後述の阪急ブレーブスのオリエント・リース社への身売りが発表されるなど大きなニュースが相次いだ。また、当時闘病中だった昭和天皇の病状が連日報道されていた最中でもあった。さらに、ブラックマンデーからほぼ1年となったこともあり、ニュースステーションとしてはニューヨークウォール街からの生中継が予定されていた。
  16. ^ ソフトバンク(対ロッテ)とオリックス(対東北楽天ゴールデンイーグルス)のそれぞれの最終戦は共に2022年10月2日の18時に試合開始したが、オリックスの試合(全日程)が終了した時点ではソフトバンクの試合はまだ継続していたため。
  17. ^ 現在のオリックス・バファローズ
  18. ^ 渡辺智は結果的に消化試合となった近鉄対西武最終戦に登板し、完投勝利を収めている。
  19. ^ 現在の福岡ソフトバンクホークス
  20. ^ この日(土曜日)の通常時の番組は、19:00から「悪魔くん」、19:30から「おぼっちゃまくん」(ABCのみ「部長刑事」)、20:00から「暴れん坊将軍III」。なお、試合当日ABCは本来「おぼっちゃまくん」を先行放送している17:55から「部長刑事」を繰り上げ放送した。
  21. ^ 制作協力はオープニングでは大阪東通が、エンディングでは九州朝日放送がクレジットされた。朝日放送の制作だが、回線運用の都合からテレビ朝日経由で全国配信されたため、提供クレジットのテロップ出しとアナウンスはテレビ朝日側が行った。また、テーマ曲は朝日放送では「ウィーンはいつもウィーン」を使用していたが、関西地区以外での配信分はテレビ朝日で「朝日に栄光あれ」に差し替えていた。
  22. ^ ちなみにこの日は裏番組のオレたちひょうきん族(フジテレビ系列)の最終回が放送された日でもあった。
  23. ^ なお、「土曜ワイド劇場」もこの試合の影響で急遽繰り下げられ以降の当時の週末の最終ニュース枠「ナイトライン」も繰り下げて放送されていた(当日の新聞各紙の朝刊テレビ欄には変更前の番組編成で掲載されていたため対応が間に合わなかった。夕刊までには間に合い変更後の番組が記載されていた)。

出典

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  2. ^ 「最高の試合」「名場面・名勝負」監督、選手らが選ぶ記憶に残る試合 日本野球機構特別ウェブページ「ここに、世界一がある。」
  3. ^ a b c d e Sports Graphic Number 790 35頁-39頁
  4. ^ a b c d e f g h 仰木『燃えて勝つ』 22頁-33頁
  5. ^ 牛島和彦氏 敬遠せず勝負したあの一球…そして「10・19」は伝説になった
  6. ^ https://www.nikkansports.com/m/baseball/news/201811180000315_m.html?mode=all
  7. ^ 『古今東西ベースボール伝説』 ベースボールマガジン社 23頁
  8. ^ 「失礼のないように」出場した4番打者の証言【ロッテから見た“10.19”(前編)】
  9. ^ 愛甲猛『球界の野良犬』ISBN 978-4796671903、115p-116p、愛甲の著書では自打球となっているが、実際には死球である
  10. ^ a b 山室寛之『1988年のパ・リーグ』新潮社、2019年。 ページ数 199頁
  11. ^ Number』626号
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  16. ^ 【近鉄黄金伝説⑧】伝説の10.19 その時ベンチ裏では… 今だから語れる近鉄裏話<栗橋茂×佐野慈紀編その6> OBTV
  17. ^ 近鉄の伝説的バッターはなぜ“大金を貸し続けた”のか? 「300万貸したヤツがベンチの真上に…」豪快エピソードに隠された“栗橋茂の真実”(3/5) - プロ野球 - Number Web - ナンバー
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  30. ^ 山室寛之『1988年のパ・リーグ』新潮社、2019年。 ページ数 202頁
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  84. ^ 日本経済新聞1989年10月15日p.33
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  86. ^ 1989年10月14日の朝刊と夕刊のテレビ欄より、朝日新聞・毎日新聞・読売新聞・日本経済新聞の1989年10月各縮刷版より





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