電車・ディーゼル車の登場と2度の大戦(1914年〜1945年)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/06 00:52 UTC 版)
「鉄道の歴史」の記事における「電車・ディーゼル車の登場と2度の大戦(1914年〜1945年)」の解説
ドイツのヴェルナー・フォン・ジーメンスによって画期的な発電機が製作されたのは1866年にさかのぼり、1878年にはトーマス・エジソンによって改良された。このころより、産業界において電力がかつて蒸気力がしめていたような中心的位置を占めるようになってきた。1880年代後葉には変圧器が発明され、高圧送電も可能になった。これは産業界に大きな変革をもたらした。従来、動力源にめぐまれなかった地域でも遠距離の発電所から送電される電力によって工業化が可能となったからである。電動機を交通機関にすえつけ、電力によって車を動かすことは1879年のベルリンで開かれた博覧会において、ジーメンス・ウント・ハルスケ社によって試みられたもので、この試作品が電気機関車(電車)としては最初期のものとなる。上述のように世界初の電車開業は1881年に施行運転され、1883年に定期運行の始まったベルリンとリヒターフェルデ(ドイツ語版)をむすぶ路面電車であった。イギリスでは1883年、ブライトンで最初の電気鉄道フォルクス電気鉄道(英語版)が開業、アメリカ合衆国でも1888年にリッチモンド・ユニオン旅客鉄道(英語版)が最初の路面電車が開業するなど、電車はこの後の約10年間で、欧米の大都市に急速にひろがっていった。また、1897年にフランク・スプレイグが総括制御を発明したことによって地下鉄の電化がはかられた。蒸気機関車の煙害が問題視されていたため、地下鉄を含む都市部の電化は急速に進んだ。都市以外では山岳地域の電化が進展した。山岳地域では石炭の供給が難しい反面、水力発電が得られやすく、急勾配な路線には電気機関車の方が適していたためである。短区間でなく一つの幹線全体を世界で初めて電化したのはイタリアのヴァルテッリーナ線(全長106キロメートル)で、1902年に開業した。アメリカ最後の大陸横断鉄道、ミルウォーキー鉄道では、1915年からロッキー山脈と太平洋岸の路線の電化に着手した。なお、東海岸のバージニアン鉄道やノーフォーク・アンド・ウェスタン鉄道といった鉄道では、山岳部の一部区間のみ電化するという方式が採用された。第一次世界大戦のころになると、電柱がいたるところに立てられるようになり、電力の利用が蒸気力の利用を圧倒するまでになった。 1892年、フランス生まれでバイエルン人移民の息子だったドイツの技術者ルドルフ・ディーゼルによって発明されたディーゼルエンジンは、圧縮して高熱になった空気熱によって燃料が発火する仕組みの往復ピストンエンジン(レシプロエンジン)であり、1893年に特許を取得した。ディーゼルエンジンは、自動車や船、のちに航空機などに使用されることになるが、世界で初めてディーゼルエンジンを鉄道車両用に用いたのもやはりドイツであった。1912年、プロイセン州州営鉄道向けに最初のディーゼル機関車が製作されており、これはディーゼル=ズルツァー=クローゼ式熱機関車と呼ばれ、ディーゼルエンジンと動輪軸を直結して駆動させる方式であったが、起動には空気圧縮機が必要で、牽引力や速度も思うような成果が出せず、クランクシャフトやシリンダーの破損が相次いで失敗に終わり、エンジン自体も凄まじい轟音を発したことから苦情も大きく、結局1914年に廃車となった。 1920年代にはディーゼル電気機関車が導入されて、燃費効率も格段に向上した。1924年にはロシア鉄道向けに大型機のGe-1形が製造されており、これは現存する最古のディーゼル機関車としてサンクトペテルブルクの鉄道博物館に静態保存されている。アメリカ合衆国のシカゴとデンヴァーを結ぶ流線型のディーゼル電気機関車「ゼファー」は平均時速120キロメートルであった。アメリカでは電気機関車よりもディーゼル機関車の方が普及した。とくに「北東回廊」と呼ばれる人口稠密地帯以外では、ディーゼル機関は、蒸気機関に比較したときの利点のいくつかを電動機と共有しており、また、電力供給網を構築する必要がなかったためである。その後、機械式・電気式・液体式の動力伝達機構の開発が進められ、これにより1930年代以降、ドイツやアメリカ合衆国などで本格的に実用化された。
※この「電車・ディーゼル車の登場と2度の大戦(1914年〜1945年)」の解説は、「鉄道の歴史」の解説の一部です。
「電車・ディーゼル車の登場と2度の大戦(1914年〜1945年)」を含む「鉄道の歴史」の記事については、「鉄道の歴史」の概要を参照ください。
- 電車・ディーゼル車の登場と2度の大戦のページへのリンク