どう‐てい〔ダウ‐〕【道程】
どうてい〔ダウテイ〕【道程】
みち‐のり【道▽程】
道程
道程
作者桃さくら
収載図書僕のセクシャルハラスメント 2
出版社青磁ビブロス
刊行年月1996.2
シリーズ名ビーボーイノベルズ
道程
道程
道程
作者久野徹也
収載図書ショートショートの広場 20
出版社講談社
刊行年月2008.3
シリーズ名講談社文庫
道程
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/07 13:12 UTC 版)
道程(どうてい、みちのり)
完成あるいは特定の状態に至るまでの過程[1]。あるいは目的の地点に到着するまでの距離[1]。古くは平安時代の藤原師通の日記『後二条師通記』などに使用例が見られる[2]。
作品名
- 『道程 (詩集)』 - 日本の詩人、高村光太郎が1914年に刊行した詩集。
- 『道程 (オリバー・サックス)』 - イギリスの神経科医、オリバー・サックスの自伝書籍。
- 『道程 (タテタカコの曲)』 - 2018年公開の映画『ミスミソウ』で採用されたタテタカコの楽曲。
- 『道程 (みなみらんぼうの曲)』 - みなみらんぼうが2007年に制作した楽曲。
- 『道程 (PDS株式会社の曲)』 - YouTuberPDS株式会社が2015年に発表した楽曲。
脚注
道程
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 07:41 UTC 版)
魏志倭人伝には、魏の領土で朝鮮半島北部ないし中部に当時あった郡 から邪馬台国に至る道程が記されている。 倭人在帶方東南大海之中 依山島爲國邑 舊百餘國 漢時有朝見者 今使譯所通三十國從郡至倭 循海岸水行 歴韓國 乍南乍東到 其北岸狗邪韓國七千餘里 始度一海千餘里 至對海國 其大官曰卑狗副曰卑奴毋離所 居絶島方可四百餘里 土地山險多深林 道路如禽鹿徑 有千餘戸 無良田食海物自活 乗船南北市糴 又南渡一海千餘里 名曰瀚海 至一大國 官亦曰卑狗副曰卑奴毋離 方可三百里 多竹木叢林 有三千許家 差有田地 耕田猶不足食亦南北市糴 又渡一海千餘里 至末盧國 有四千餘戸 濱山海居 草木茂盛行不見前 人好捕魚鰒 水無深淺皆沈没取之 東南陸行五百里 到伊都國 官曰爾支副曰泄謨觚柄渠觚 有千餘戸 世有王 皆統屬女王國 郡使往來常所駐 東南至奴國百里 官曰兕馬觚副曰卑奴毋離 有二萬餘戸 東行至不彌國百里 官曰多模副曰卑奴毋離 有千餘家 南至投馬國水行二十日 官曰彌彌副曰彌彌那利 可五萬餘戸 南至邪馬壹國 女王之所都 水行十日陸行一月 官有伊支馬次曰彌馬升次曰彌馬獲支次曰奴佳鞮 可七萬餘戸 自女王國以北 其戸數道里可得略載 其餘旁國遠絶 不可得詳 次有斯馬國次有巳百支國次有伊邪國次有都支國次有彌奴國次有好古都國次有不呼國次有姐奴國次有對蘇國次有蘇奴國次有呼邑國次有華奴蘇奴國次有鬼國次有爲吾國次有鬼奴國次有邪馬國次有躬臣國次有巴利國次有支惟國次有烏奴國次有奴國 此女王境界所盡 其南有狗奴國 男子爲王 其官有狗古智卑狗 不屬女王 自郡至女王國 萬二千餘里 (中略) 計其道里 當在會稽東冶之東 対海国、一大国、末廬国、伊都国、奴国、不彌国、投馬国、邪馬台国に関しては、「魏志倭人伝」に詳しい記述がある。位置については畿内説と九州説が有力とされる(#位置に関する論争を参照)。道程についても「連続説」と「放射説」がある(#邪馬台国に関する論争を参照)。位置や道程の比定をめぐっては論争が起きてきた(#邪馬台国に関する論争を参照)。 その他、斯馬国、百支国、伊邪国、都支国、彌奴国、好古都国、不呼国、姐奴国、對蘇国、蘇奴国、呼邑国、華奴蘇奴国、鬼国、爲吾国、鬼奴国、邪馬国、躬臣国、巴利国、支惟国、烏奴国、奴国 があり、女王国の南には男王卑弥弓呼が治める狗奴国があり女王国と不和で戦争状態にあった。なお、天照大神の神話の系図によれば、薩摩等の隼人の部族もまた天照の子孫であり、天照と卑弥呼は置かれていた状況にも類似点が伺える。 なお、古代朝鮮の高句麗は那、奴といった地縁的政治集団から成り立っており、殉死の文化があり、248年まで東川王があったが、魏が240年代に高句麗を攻撃し国都を陥落させて撤退したとき、王は沃沮(東海・日本海側)の地に身を隠している。邪馬台国地域の国名に現われる奴の文字は、同じように(あるいは高句麗渡来の)地縁部族を示している可能性がある。
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