じゃしゅう‐もん【邪宗門】
じゃしゅうもん【邪宗門】
邪宗門
作者芥川龍之介
収載図書芥川龍之介全集 2
出版社筑摩書房
刊行年月1986.10
シリーズ名ちくま文庫
収載図書改編 蜘蛛の糸・地獄変
出版社角川書店
刊行年月1989.4
シリーズ名角川文庫
収載図書芥川龍之介全集 第4巻 あの頃の自分の事 蜜柑
出版社岩波書店
刊行年月1996.2
収載図書ザ・龍之介―芥川龍之介全一冊 増補新版
出版社第三書館
刊行年月2000.7
収載図書芥川龍之介妖術伝奇集―伝奇ノ匣 3
出版社学習研究社
刊行年月2002.7
シリーズ名学研M文庫
収載図書地獄変・邪宗門・好色・藪の中 他七篇
出版社岩波書店
刊行年月2003.4
シリーズ名岩波文庫
収載図書邪宗門 杜子春
出版社フロンティアニセン
刊行年月2005.5
シリーズ名第2刷 (フロンティア文庫)
収載図書羅生門 鼻 69刷改版
出版社新潮社
刊行年月2005.10
シリーズ名新潮文庫
収載図書大活字版 ザ・龍之介―全小説全一冊
出版社第三書館
刊行年月2006.7
収載図書王朝小説集
出版社ランダムハウス講談社
刊行年月2007.8
シリーズ名ランダムハウス講談社文庫
邪宗門
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/11/28 23:13 UTC 版)
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邪宗門(じゃしゅうもん)は、「邪な宗門」、つまり現代風に言えば「邪悪な宗教」といった意味の言葉・表現で、豊臣政権や江戸幕府が特定の宗教・宗派に対して用いた一種の政治用語。
概説
「邪宗門」は、あくまで時の権力者が彼らから見て敵対していると感じられたり、都合が悪いとみなされたりした宗教にまとめてレッテルを貼るための政治的な用語で、宗教用語や学術用語とは言い難い。
よく知られるところでは豊臣秀吉や徳川家康によってキリスト教がそれとされたり、豊臣・徳川らの命令への非服従を貫いた日蓮宗不受不施派が「邪宗門」とされた。また、宗門改などを通じた宗教統制に入らなかった民間宗教、新宗教なども江戸幕府によって「邪宗門」に分類された。
戦国時代、人々は現世利益や葬式を中心とした冠婚葬祭への期待から、仏教に帰依するようになった。16世紀半ばにフランシスコ・ザビエルがキリスト教カトリックを伝えたが、キリスト教は仏教徒の教義の類似性から、当時の日本において仏教の一種と誤解され、当時の日本人に受容されやすく、キリシタン大名も生まれた。織田信長が実権を握った当時、キリシタンは九州地方に多く、近畿地方には少なかった。信長の勢力圏ではキリシタンは有害な存在とみなされず、信長はキリスト教を保護した。信長の家来の中から頭角を現し、信長亡き後に権力を握った豊臣秀吉は、天正17年(1589年)にバテレン追放令を出して以後、「(太陽神・天照大神の末裔とされる)天皇と天皇によって任命され政治的な正統性を付与された関白及び将軍(幕府)の至上性を認める宗門のみが日本における正法(正しい宗教)であり、これを認めない宗門は日本の正統な国家秩序を破らんとする「邪法」を奉じる宗門である」すなわち「邪宗門」とした。江戸幕府もこの方針を継承し、一般民衆に対して「キリスト教=邪宗門」とする観念を植え付け、多数のキリスト教徒を迫害し、島原の乱など信者による反乱も発生した。
明治維新の直後、明治政府から出された五榜の掲示第三札には、当初「切支丹邪宗門」の禁止が掲げられていた。この文言があることを知った欧米諸国は明治政府に猛抗議を行ったため、慌てた明治政府はただちに「切支丹」と「邪宗門」それぞれを禁止する、と訂正した。
明治6年(1873年)のキリスト教解禁において、300年近くにわたって「キリスト教=邪宗門」との観念を植え付けられてきた一般民衆の間には、解禁に対して不安や恐怖を覚える者もあったとされる。その不安と蔑視はキリスト教解禁後も続き、政府及び民衆からの様々な圧迫が日本のキリスト教徒に対して加えられる要因となった。
関連項目
外部リンク
- 『邪宗門』:新字新仮名 - 青空文庫(芥川龍之介著)
- 『邪宗門』:新字旧仮名 - 青空文庫(北原白秋著)
邪宗門と同じ種類の言葉
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