近年の政治情勢
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2006年4月2日に下院選挙が行われたが、民主党など主要政党はボイコットし、タクシン・チナワットが率いる与党のタイ愛国党が大半の議席を占めた。しかし、プミポン国王が野党不参加の総選挙の可否について憲法裁判所の判断を求め、同裁判所は下院選挙無効の裁定を下した。やり直し選挙には与野党とも参加する意向を示していた中、9月、クーデターが発生。「民主主義統治改革評議会」が三権を停止した。その後、新憲法の起草、新憲法の同意を得る国民投票を経た後、下院選挙が行われ、2008年2月6日、サマック・スントラウェート内閣が発足した。民政復帰は2006年9月の軍部によるクーデター以来。 2008年5月から反タクシン派である市民団体(都市部のインテリ層・富裕層が中心)の民主市民連合(PAD)が、2006年のクーデター以来の反政府運動を繰り広げる中、9月9日に、サマック首相のテレビ出演に対する憲法裁判所による違憲判決がなされ、首相が辞任することとなる。そこで、タクシン元首相の義弟であるソムチャーイ・ウォンサワットが首相に就任したが、PADによる反政府運動が首相府を占拠するなど激しくなる。11月には、PADがバンコクにあるスワンナプーム国際空港とドンムアン空港を占拠し首都の空港機能が麻痺する事態になる中、12月2日に、与党の選挙違反に関して憲法裁判所が人民の力党など与党3党に対し解党命令を行ない、ソムチャーイ政権も崩壊する。これを受けて、野党であった民主党がタクシン派の多くを除く旧連立与党の政党と協力し、12月15日に下院にてアピシット・ウェートチャーチーワが首相に任命された。 「反独裁民主戦線#デモ活動」および「民主市民連合#デモ活動」も参照 タクシン政権以後のタイの政治の混迷は、人口の農村の住民を中心としたタイの人口の7割を占めるタクシン派と、地方へのばら撒き政策を非難するインテリ層・富裕層・中間所得層を主とする反タクシン派の利権争いが主な要因になっている。2011年7月、タクシンの実の妹であるインラックが首相に就くが、同年に生産された米を農民から政府が市場価格の約2倍で買い取る政策を行った所、ベトナムなどの他の東南アジア諸国の米との価格競争に負けて米が売れなくなり、政府の資金繰りの悪化だけでなく貧困層がますます貧困に陥ったことも混迷に拍車をかけ、2013年の反政府デモ、そして2014年のクーデターによるプラユット・チャンオチャら軍トップによる政権奪取へとつながった。 詳細は「タイ軍事クーデター (2014年)#背景」および「プラユット・チャンオチャ#経歴」を参照 「2013年タイ反政府デモ#推移」も参照
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近年の政治情勢
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2006年7月2日、制憲議会選挙が行われた。定数は255議席。与党・社会主義運動(MAS)が137議席を確保した。第2党は、野党中道右派・民主社会勢力(PODEMOS)で60議席を占めた。同時に実施された地方自治権の拡充の賛否を問う国民投票では、与党の主張が半数を占める。新憲法草案は、1年以内に3分の2以上の賛成で提案され、国民投票に付される。 ボリビアの181周年独立記念日の2006年8月6日に、制憲議会の開会式が行われた。同議会発足を祝って、36の先住民による約3万人のパレードも実施された。 就任2年目になるエボ・モラレス大統領は、2007年1月22日、国会で年次報告を行い、新憲法を制定する重要性を改めて強調した。新憲法には、水を含む資源主権や先住民の権利確立、教育行政に対する国の責任などが盛り込まれる予定である。制憲議会は2006年8月、発足したが、議事運営方法、地方自治、首都制定等を巡って与野党や地方間の対立が続いている。与党・社会主義運動党が定数255のうち142議席を占めている。 2009年1月25日、先住民の権利拡大や大統領の再選を可能とする新憲法案が60%あまりの賛成を得て承認された。2009年12月6日、大統領選挙が行われ、現職のモラレスが6割を超える得票で勝利した。 2014年10月29日、モラレスが大統領選で3度目の当選を果たし、翌2015年1月に第3期モラレス政権が発足した。 2019年10月20日、モラレスは大統領選で4度目の当選を果たしたものの、開票結果の不正操作疑惑が浮上し、これに反発した対立候補の支持者による抗議活動が発生し、国内は混乱。国軍・国家警察などから辞職勧告を突き付けられたモラレスは11月10日に大統領辞任を表明し、11月12日にメキシコへ亡命。これは事実上のクーデターとされる。 モラレスの辞任表明を受け、憲法裁判所はヘアニネ・アニェス上院副議長を暫定大統領に選出し、アニェスは就任宣誓を行った。これに対し、モラレス政権を独裁として批判してきたアメリカ合衆国やアメリカ寄りの右派政権が統治するブラジル、コロンビア、エクアドルはアニェスを暫定大統領として承認した。大統領選挙の仕切り直しは、2020年5月に予定されていたが、新型コロナウイルスの感染拡大に伴い、同年10月18日に延期して実施され、モラレス派のルイス・アルセ・カタコラが当選した。2021年3月13日、前暫定大統領のアニェスが、2019年の「クーデター」に関与した疑いなどで逮捕された。
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