趙三大天(旧)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 11:00 UTC 版)
「キングダムの登場人物一覧」の記事における「趙三大天(旧)」の解説
廉頗(れんぱ) 旧・趙三大天。廉頗参照。 藺相如(りんしょうじょ) 旧・趙三大天。廉頗と刎頸の交わりを交わした人物でもあり、兄弟に例えられる。故人。敵味方全てを掌で転がして勝つのが大将軍という考えを持ち、李牧から「智」と「勇」を兼ね備えた大戦略家と評され、持ち合わせていなかった「武」を担わせる「藺家十傑(りんけじっけつ)」と呼ばれる十将を配下にしていた。予知能力とも言える先見の明の持ち主で、生前一度だけ会った秦六将・王騎と中華について語った。 全盛期に突如病に倒れ、病死。今際の際に、尭雲と趙峩龍に二人の朱海平原での奮戦を匂わせる預言をし、二人にはまだ役目があると言い殉死をしないよう言い残した。生前に尭雲と趙峩龍の二人に中華についての行く末を語り、二人に対して二つの遺言を残していた。 趙奢(ちょうしゃ) 旧・趙三大天。故人。
※この「趙三大天(旧)」の解説は、「キングダムの登場人物一覧」の解説の一部です。
「趙三大天(旧)」を含む「キングダムの登場人物一覧」の記事については、「キングダムの登場人物一覧」の概要を参照ください。
趙三大天(新)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 11:00 UTC 版)
「キングダムの登場人物一覧」の記事における「趙三大天(新)」の解説
李牧(りぼく) 声 - 森川智之 / 浪川大輔(PSP) 新・趙三大天。どこか涼しげで飄々とした立ち振る舞いで穏やかな性格をしているが、中華でも指折りの知略と自ら敵中に飛び込んで敵将を討てるほどの武勇を持つ知勇兼備の英傑。 馬陽編では、中盤にカイネ達とともに河了貂と蒙毅達がいた廃砦に現れる。実は訪れる前に十万の匈奴を誰にも知られずに討伐し、終盤で四万の軍を率いて参戦。秦六将・王騎を討つきっかけを作った。その功から、趙の宰相となる。馬陽戦後に呂不韋と秦趙同盟を締結し、秦が山陽を占領している間に燕へ侵攻し燕国大将軍・劇辛に圧勝した。 合従軍の発起人で、秦を滅亡寸前まで追い詰めるも、蕞攻防戦で山の民の出現によって敗走。帰国後、失脚し前線地の監督の見回りに左遷された。始皇八年には宰相に復帰したが、実権は失脚していた間に勢力を増した郭開に握られている。 秦の中華統一阻止のために西部防衛網を築くが、舜水樹の報告によって秦の本当の目標が鄴であると看破。鄴を包囲した秦軍に対し閼与の軍を率い、朱海平原で王翦軍と激突。初日に少数の部隊を率いて奇襲を仕掛けて秦将軍・麻鉱を討つ。15日目には死闘の末に朱海平原から退却を決断し鄴の救援に向かうが、王翦軍の度重なる追撃と鄴を包囲した桓騎軍の前に鄴を解放出来ず、鄴の陥落を目の当たりにし後退。そのまま鄴を包囲し兵糧攻めしていたが、朱海平原の敗北の責で王印の騎士団に邯鄲へ連行されて、地下牢に投獄される。 郭開に処刑を言い渡されるが、太子嘉によって解放される。だが、末子遷が次期国王に指名されたことで太子嘉とともに粛清対象となり、カイネとともに彼を守りながら法紹まで落ち延びる。その後、舜水樹・馬南慈達と合流し、いずれ郭開達が自分を頼ると予想して雌伏することを決め、司馬尚の協力を得るため彼らと共に青歌に向かう。始皇十三年の扈輒の戦死により、郭開から召還を受ける。武城・平陽と邯鄲の間に長城を築くと、北方の宜安へ向かった。 龐煖(ほうけん) 声 - 高塚正也 新・趙三大天。"武神"と称する恐るべき武勇を持つ大男。人を超えた存在になることを目指しており、他の強者の存在を許さず、強者がいれば敵中であろうと単身で乗り込んで討ち取りに行く奇行を繰り返していた。そうした面から昌文君に一個人の武勇は認めざる得ないものの「将として人を率いる器ではない」と評されていた。 気功術で人々を治療していた夫婦の間に産まれた子だったが、赤ん坊の時に現在の龐煖のような姿の大男に両親が襲われて殺され、自身はその大男に攫われた過去を持つ。鄴編から十九年前に山中である戦に敗走して瀕死だった李牧と出会い、彼を"求道者"である自身に答えを示す"導く者"だと悟り、追手を全滅させて彼を助けた。 かつて趙領だった馬陽を攻めていた秦軍本陣を襲撃し、秦六将・摎を一騎打ちの末に殺害。その直後、激情に駆られた秦六将・王騎に顔を斬られ敗北。この因縁から、王騎を討つために李牧の誘いに乗って趙軍総大将となって因縁の馬陽へ出陣。 馬陽編では夜襲を仕掛け、飛信隊を半壊させ信と羌瘣を圧倒的な実力で追い詰めるも決着には至らなかった。決戦日での王騎との一騎討ちで、自身の矛を砕かれてしまうが、魏加の横槍で出来た一瞬の隙を突いて砕かれた矛で王騎を刺して致命傷を負わせた。しかし、致命傷を負ってもなお自身を圧倒する王騎の力を目の当たりにし、王騎を討っても納得がいかないまま、戦場を立ち去った。 その後、深山で修行を積んでも王騎を超えた感触を得られず迷っていた際に、李牧の誘いで趙燕戦争の総大将となり、燕軍大将軍・劇辛を一騎打ちで討ち取った。合従軍編では、李牧軍に同行。追撃してきた秦国大将軍・麃公を一騎討ちの末に、片腕を折られるも討ち取った。蕞攻防戦終盤で、信との一騎討ちの末に重傷を負い、信との決着には至らず、信に名を覚えておくと告げて撤退した。 鄴編では、朱海平原戦九日目に信が岳嬰を討った時に王騎の気配を感じ取り、十四日目の夜に秦軍左翼の蒙恬陣営に突如姿を現し、胡漸隊を壊滅させた後、姿を消した。最終局面で李牧本陣目前に迫った飛信隊の前に立ちはだかり、羌瘣を退けると、因縁の信との一騎討ちを繰り広げるが、最期は信に討ち取られ死亡する。
※この「趙三大天(新)」の解説は、「キングダムの登場人物一覧」の解説の一部です。
「趙三大天(新)」を含む「キングダムの登場人物一覧」の記事については、「キングダムの登場人物一覧」の概要を参照ください。
- 趙三大天のページへのリンク