その他の秦大将軍
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「キングダムの登場人物一覧」の記事における「その他の秦大将軍」の解説
蒙驁(もうごう) 声 - 伊藤和晃 秦大将軍。「白老」の異名を持つ。蒙武の父にして、蒙恬・蒙毅の祖父。自ら前線で武勇を示すのではなく本陣で全体の指揮を執り、不利な戦況でも柔和な笑みを崩さずどっしりと構えている。攻城戦を得意とし、戦闘で負傷した部隊への見舞いや兵卒に対しても親愛のこもった檄を飛ばすなど、末端への配慮も欠かさない。六大将軍のことは偉大さゆえに嫌っていた反面、憧れ尊敬してもいた。周囲から凡将との評価に反し、人材登用においては中華一と評される。考えに行き詰まると一兵卒に変装し、自軍陣営内を徘徊する癖がある。 元々は斉国出身。伍長から昇進を重ねてきた歴戦の将であったが、廉頗によって幾度も敗北させられたことから故郷での出世の道を諦め、蒙武と共に秦へ移住。 山陽編において、因縁の相手である旧趙国三大天・廉頗と四十年ぶりに対決。一兵卒に扮して徘徊していた時に邂逅した信との会話で当初の弱腰を払拭し、廉頗を倒すことを決意する。終盤、廉頗が本陣がある丘の裏手に現れると、彼のためだけに四十年間練り上げた秘策を用いて迎撃し、廉頗からも高く評されるが突破され、本陣に迫られる。そこで挑んだ一騎討ちでは廉頗を馬ごと弾き飛ばす怪力で善戦するも左腕を失う。しかし、桓騎による魏軍本陣を陥落の報に廉頗が降参したことで、目的であった山陽攻略に成功。 戦争終結後、この時の負傷から事実上は引退状態にあるとされたが、合従軍編において国門函谷関の守将を任され死守した。始皇七年に危篤状態となり、信と蒙恬が駆け付けた際に一時意識が戻り、王賁と三人で高みへ登れと二人を激励して死去。 麃公(ひょうこう) 声 - 斎藤志郎 秦大将軍。大きく見開いた目と、鋸の歯のようなギザギザの歯が特徴の巨漢。敵軍に突撃する際は棘をあしらった仮面と盾を装備し、大矛を振う。昭王も認める六将級の猛将だが、王からの招聘を無視して長年前線を拠点としていたことから、中央での知名度は低かった。戦を「燃え盛る大炎」という独特の感性で表し、戦の局面が動く時と判断した際の決断は大胆で、戦が最高潮に達した時は、自ら出陣して敵総大将の首を狙うといった独特な戦い方をする。言わば知略や軍略よりも本能で戦う武将で、李牧・王翦が「本能型の極致」と称賛するほどであった。 蛇甘平原編では滎陽攻略のため出陣し、蛇甘平原で魏軍と対峙。信達の奮戦で大炎を感じ取ると自ら出撃。魏将軍・朱鬼を瞬殺し、魏火龍七師・呉慶を一騎討ちの末に討つも、自軍の損害を省みて帰国。 合従軍編では、侵攻する魏軍を足止めするため交戦するも、魏国大将軍・呉鳳明が仕掛けた罠を察して撤退。その際、援軍に現れた飛信隊を指揮下に加える。函谷関攻防戦では、序盤に趙軍と相対し、三倍もの兵力差を物ともせず互角に渡り合う。初日の夜に信を臨時の二千人将に任命する。終盤には李牧軍の暗躍を察知して猛追。趙三大天・李牧の迎撃策を看破して本陣へ迫るも、出現した趙三大天・龐煖との一騎討ちで、致命傷を受けるも片腕を折る。死の間際、加勢しようとする信へ盾を投げ渡して自分に構わず咸陽へ行くよう命じ、「火を絶やすでないぞォ」と言い遺して龐煖に討たれ戦死。 張唐(ちょうとう) 声 - 浦山迅 秦大将軍。 十五歳で初陣して以来五十年間、戦歴を重ねた老将。しかし昭王時代には六大将軍の影に隠れており、それ故に彼らを嫌っていた。性格は頑固そのもので、秦国軍人であることを誇りに思っている。反目する桓騎の才能だけは認めている。 合従軍編で咸陽に招集され、函谷関の守将の一人になる。だが韓軍の毒兵器により余命を悟ると、桓騎軍と共に韓軍を襲撃して韓大将軍・成恢を討ち取った。桓騎には「秦国一の武将となれ」と言い残して力尽き、死亡した。
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