熊本藩士時代とは? わかりやすく解説

熊本藩士時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/06 14:39 UTC 版)

元田永孚」の記事における「熊本藩士時代」の解説

文政元年1818年)、熊本藩士・元三左衛門700石(本知550石))と津川平左衛門の娘阿喜和の子として生まれる。元田家は藩内で上士層に位置するが、両親共に別の家系から元田家養子に来た人物で、彼らを引き取った元田自泉が永孚の面倒を見ることになった。 父・三左衛門は永孚の幼少期には藩主細川斉樹小姓勤め天保8年1837年)に斉の甥細川斉護の側取次役となるなど多忙であったため、祖父元田自泉より厳し教育を受け、「唐詩選」「論語」などを学ぶ。11歳時に熊本藩藩校時習館学び天保3年1832年)に元服天保8年1837年3月に斉護の参勤交代に従う父の付き添い江戸へ向かい大阪京都巡り江戸へ方々見物した末に帰藩した。同年8月時習館寮生になり横井小楠下津休也と知り合いその感化を受け、実学党(小中心藩政改革派)の1人として活動した。しかし天保10年1841年)に小後ろ盾であった家老長岡是容らが失脚元田自身も父の強い希望があって天保12年1841年)に退寮在野勉強しながら実学党交流続けたが、嘉永6年1853年)に黒船来航、それによる小長岡思想政治方針対立安政2年1855年)に実学党分裂、一旦実学派から距離を置く安政4年1857年12月2日に父が死去したことにより翌安政5年1858年2月家督継ぎ元田家8代目となり、文久元年1861年)に藩主細川慶順(斉護の次男、後の韶邦)の参勤交代使番として随行江戸へ再度上府した。江戸では前越前藩松平春嶽側近として江戸幕府改革尽力していた小再開したことを喜んだが、翌文久2年1862年9月国許にいた妻が急死したため帰藩して辞職したのもつかの間12月京都留守居を藩から命じられ上洛した。京都では公武合体派の藩に従い周旋励んだ尊王攘夷否定的で、文久3年1863年7月に帰藩した後は中小姓頭になり、元治元年11月第一次長州征討では慶順の弟・長岡護美率いた熊本藩兵に従軍して小倉滞陣慶応元年1865年)に辞職した。翌2年1866年)の第二次長州征討出兵反対薩摩藩長州藩による武力討伐にも反対公議政体論者だったが、王政復古宣言される時流乗り上洛することを慶順に主張している。 慶応3年1867年12月高瀬町奉行再雇用され、翌4年明治元年1868年4月側用人奉行などを歴任したが、学校党ら保守派実学党革新派対立で藩の政府対す方針が決まらず、日和見反発して速やかな出兵藩主上洛説いた採用されず、明治維新後に藩内での意見対立から嫌気差し明治2年1869年2月東大江村隠退私塾五楽園」を開いた。翌明治3年1870年5月藩政において実学党復権したことでは藩主侍読推挙され復帰明治4年1871年1月藩命上京し宣教使参事兼任5月30日藩命および大久保利通推挙によって宮内省出仕し明治8年1月には明治天皇侍読となり、以後20年わたって天皇への進講を行うことになる。

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熊本藩士時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/23 08:54 UTC 版)

小野鎮幸」の記事における「熊本藩士時代」の解説

立花家改易されて宗茂の身が加藤清正預かりになると、家臣達の多く立花家臣団の勇猛を知る清正召抱えられ、鎮幸はそのまとめ役として肥後国残った宗茂僅かな家臣と共に各地放浪する旅に出たが、鎮幸は少しずつ金を貯めて度々宗茂送っている。 慶長14年1609年6月23日肥後にて死去享年64。後に、立花宗茂柳川城主に返り咲くと、鎮幸の子孫は呼び戻され代々大組組頭家老世襲した。

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