河川総合開発への参加
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/14 21:05 UTC 版)
「飛騨川流域一貫開発計画」の記事における「河川総合開発への参加」の解説
戦後の河川開発において重要だったのは電力開発だけではなく、カスリーン台風を皮切りに連年日本を襲った水害に対応するための治水と、極端な食糧不足に対処するための灌漑整備があった。経済安定本部は木曽川のほか日本の主要10水系を対象に1949年(昭和24年)多目的ダムを軸とした治水対策である河川改訂改修計画を、農林省(現在の農林水産省)は1948年より国営農業水利事業を策定し1河川単独ではなくテネシー川流域開発公社(TVA)を模範とした水系全体での河川開発を志向していた。第3次吉田内閣はこうした河川総合開発事業をより強力に推進するため、1951年国土総合開発法を制定し日本各地で22地域を選定した特定地域総合開発計画を立案する。 飛騨川を含む木曽川水系では1951年に木曽特定地域総合開発計画が閣議決定された。この計画において飛騨川流域は主に水力発電を主眼とした河川開発が計画され、その中で朝日・秋神・久々野・東上田の各ダム・発電所計画が明記されているが、翌1952年(昭和27年)3月には建設省中部地方建設局(現在の国土交通省中部地方整備局)により木曽川水系流域計画が策定され、木曽川を始め揖斐川、長良川、飛騨川に洪水調節を目的としたダムの建設が計画された。これにより木曽川水系には信濃川水系との導水を含む15箇所の多目的ダムを建設して治水と灌漑、そして水力発電を行う方針に変更され、その手始めに関西電力が発電専用として建設していた丸山ダム(木曽川)が治水目的を持つ多目的ダムに変更されている。中部電力が手掛けていた飛騨川流域においても5箇所の多目的ダム計画が立てられた。 飛騨川本流に久田見ダム、支流の小坂川に落合ダム、馬瀬川に岩屋ダム、和良川に岩瀬ダムが新規で計画され、中部電力が施工していた朝日ダムについては規模を拡大して治水・灌漑目的を追加するというのが計画の骨子である。久田見ダム建設により上麻生発電所は取水口である上麻生ダムが水没するが、代わりに久田見ダムが新たな取水元となり、出力も7万2000キロワットに拡充される。その反面朝日ダムについては治水容量や灌漑容量が増設されるため相対的に発電容量が減らされ、出力も1万9000キロワットに減少する。しかしこれらのダム計画は何れも立ち消えとなり、飛騨川の開発は中部電力による先述の計画が進められた。 飛騨川流域において再度の総合開発計画が登場したのは高度経済成長が本格的となる1963年(昭和38年)のことである。まず高根第一ダムの多目的ダム化が検討されたが費用対効果の面で断念され、次に馬瀬川において総合開発計画が検討された。既に木曽特定地域総合開発計画において馬瀬川本流に岩屋ダム計画が検討されたが、中部電力は高根第一・第二発電所に次ぐ揚水発電開発地点としてこの岩屋地点に注目していた。そこへ木曽川中流部への灌漑を目的とした木曽川総合用水事業を農林省が計画、岩屋地点に灌漑用ダムの建設を考えたことから1968年通商産業省は灌漑と水力発電を目的とした総合開発計画として岩屋地点を正式に採択、岩屋ダム計画が復活する。ところが今度は中京圏の水需要増加に対処するため木曽川水系が1965年(昭和40年)に水資源開発促進法による開発水系に指定されたことで、水資源開発公団(現在の水資源機構)が岩屋地点を開発対象に選び、さらに伊勢湾台風以後の木曽川水系治水対策として建設省が1966年(昭和41年)に特定多目的ダム法に基づく岩屋ダム計画を発表したことから事態は複雑になり、関係各省庁との折衝が長期化した。 一時は電源開発促進法に基づき電源開発が事業を担当するという案も出されたが、建設省、農林省、通商産業省、経済企画庁、中部電力の間で調整が図られた結果、水資源開発公団が事業主体、中部電力は電気事業者として馬瀬川総合開発事業である岩屋ダム計画に参加することが1968年(昭和43年)10月総理府告示第35号で公示された。岩屋ダムは飛騨川流域最大の総貯水容量を有する多目的ダムとして建設され、岐阜県・愛知県・三重県北部の水がめとして1976年(昭和51年)完成する。ダムの施工は中部電力が担当し、揚水発電である馬瀬川第一発電所(出力28万8000キロワット)と、逆調整池兼揚水発電の下部調整池として馬瀬川第二ダムを直下流に建設。馬瀬川第二発電所(出力6万6400キロワット)を同時に建設して夏季の電力需要ピーク時に対応する態勢を整えた。なお岩屋ダムを水源とする木曽川用水は上麻生ダム貯水池において取水され、濃尾平野の農地へ灌漑用水を供給する。 なお、河川法改訂により発電用ダムなどの利水のみを目的とするダムにおいても治水に対する責務が明確化されたことで、1965年の河川法施行令や1966年の建設省河川局長通達・建河発第一七八号が施行され具体的な治水対策が明文化された。中部電力管理のダムでは大井川本流の畑薙第一ダム、畑薙第二ダム、井川ダムが通達第一類ダムに、天竜川本流の泰阜ダム、平岡ダムが通達第二類ダムに、大井川本流の奥泉ダムが通達第三類ダムに指定された。木曽川水系でも水資源機構の牧尾ダム(王滝川)が第一類、木曽川本流の関西電力落合・大井・笠置ダムが第二類に指定されたが、飛騨川流域については最初から目的に洪水調節がある岩屋ダムと大ヶ洞ダム(大ヶ洞川)を除き、中部電力管理の発電用ダムについては通達でどの分類に指定されているかは詳らかではない。
※この「河川総合開発への参加」の解説は、「飛騨川流域一貫開発計画」の解説の一部です。
「河川総合開発への参加」を含む「飛騨川流域一貫開発計画」の記事については、「飛騨川流域一貫開発計画」の概要を参照ください。
- 河川総合開発への参加のページへのリンク