河川網の形成とは? わかりやすく解説

河川網の形成

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/20 01:30 UTC 版)

横浜市中心部の廃河川」の記事における「河川網の形成」の解説

現在の大岡川中村川首都高速道路神奈川1号横羽線囲まれた、東西長い釣鐘状の土地江戸時代初期まで入り江で、宗閑嶋(洲干嶋とも)と呼ばれる半島状の砂州南側(今の元町付近)から伸びていた。この入り江では、1656年明暦2年)から1667年寛文7年)にかけて吉田勘兵衛により新田開発おこなわれ吉田新田となった。宗閑嶋の入り江側に沿った沼地では、1850年嘉永3年)から1856年安政3年)にかけて、太田明により太田屋新田開発された。 吉田新田北側野毛方面の岸を隔てる川は現在の大岡川同様に南側中村川相当し吉田新田太田屋新田との間はのちの派大岡川(は おおおかがわ)となる。新田内には、大岡川河口付近から東西に貫く中川設けられた。中川には、水田真水流して海水塩分除去する役割があった。1859年に、新田と宗閑嶋との間に吉田橋野毛との間に野毛現在の都橋)がけられた。1860年万延元年)、太田屋新田や宗閑嶋に設けられ外国人居留地に住む外国人日本人との衝突避けるため、半島付け根堀川通し谷戸橋前田西之橋3つのけて関所とした。この関所内側関内である。また、この頃から関内人口急増し新田順次埋め立て市街地形成された。1870年明治3年)から1874年にかけて、吉田勘兵衛の子孫らにより、中村川から分かれて根岸湾に至る堀割川造られたが、この時に丘陵を拓いた土砂南一目沼現在の中区吉浜町松影町寿町翁町扇町不老町万代町蓬莱町付近)の埋め立て使われた。1874年地図には、阪東橋付近から東側中川踏襲した吉田川よしだがわ)と、これと交わる富士見川(ふじみがわ)、日ノ出川(ひのでがわ)が記されており、吉田川中村川を結ぶ川も、案として記載されている。この案に沿い、1893年実業家伏島近蔵は8万円私費投じ中村川堀割川分流付近から吉田川につなぐ新吉田川(しんよしだがわ)を着工し1896年完成させた。翌年には、新吉田川と大岡川を結ぶ新富士見川(しんふじみがわ)を完成させ、関内寄り富士見川を埋め立てた堀割川から中村川堀川派大岡川にかけてへは、三浦半島から横浜港への和船頻繁に往来し吉田川建築資材石炭日用品などの運搬利用され反面日ノ出川や富士見川は主として排水役割持ち、舟の往来比較少なかった太田屋新田には、現在の港町1丁目から相生町太田町の間を通り大岡川に注ぐ悪水堀造られ1871年小松川(こまつがわ)と命名された。この小川悪臭のため、1872年高島嘉右衛門により埋め立てられた。 現在の野毛町から花咲町にかけては野毛浦と呼ばれる切り立った崖であり、このため東海道横浜港を結ぶ横浜道海沿い避けて通された。新橋駅横浜駅現在の桜木町駅)間の鉄道敷設にあたり1870年野毛浦の先を、1本の水路残して鉄道用地として埋め立てられた。この水路には紅葉錦橋瓦斯雪見花咲けられ、1871年桜木川(のちに桜川さくらがわ)に名称変更)と命名された。瓦斯橋の名称は、現在の横浜市立本町小学校位置にあった都市ガス工場由来する1923年9月1日発生した関東大震災では、中村川堀川大岡川吉田川両岸堀割川右岸崩壊し多く焼失落橋した。政府復興計画では三浦半島房総半島から横浜への輸送路である堀割川中村川堀川国費による改修予定されたが、大岡川帷子川流域工業化推進しようとした市は、両川改修を国の事業として進めることを国に請願したその結果堀割川中村川堀川吉田川を市、大岡川帷子川を国が改修することとなり、護岸コンクリート化や浚渫が行われた。新設改築され橋梁市内全体178本(国施工37本、市施工141本)にのぼり、この時に立てられ親柱にはさまざまな意匠凝らされた。復興局では日ノ出川を埋め立て公園とする提案がなされ、地元住民もこれに賛同した河川利用する材木問屋回漕業者反対があった。この時の埋め立て見送られ1953年4月から1956年にかけての埋立事業まで存続した。桜川第二次世界大戦後1948年10月より埋立着手され1954年完了した1959年着工した国鉄根岸線は、大岡川との交差付近から石川町駅近く吉浜付近にかけて、派大岡川橋脚建てた高架構造建設され1964年にこの区間を含む桜木町駅磯子駅間が開通した橋脚基礎岩盤到達しておらず、ペデスタル採用された。この頃から河川流通機能衰退し廃船となり放置された艀が問題となった

※この「河川網の形成」の解説は、「横浜市中心部の廃河川」の解説の一部です。
「河川網の形成」を含む「横浜市中心部の廃河川」の記事については、「横浜市中心部の廃河川」の概要を参照ください。

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