永山と弁護団の対立とは? わかりやすく解説

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永山と弁護団の対立

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/11 12:02 UTC 版)

永山則夫連続射殺事件」の記事における「永山と弁護団の対立」の解説

1985年12月23日主任弁護人鈴木東京高裁刑事第3部石田穣一裁判長)に「精神鑑定申請書」を提出した当時第七弁護団差戻控訴審で再び無期懲役判決を得るために活動していたが、裁判長柳瀬から石田交代したことで今後弁護方針について苦慮しており、「第一審実施された2鑑定新井鑑定・石鑑定)は結論異にしており、近年になって著しく変遷し精神医学学問的水準から改め検討実施すべきだ」との趣旨から再度の精神鑑定求めた第七弁護団1986年昭和61年1月31日に「精神鑑定申請補充書 1」を、同年3月31日には(当時、他の弁護人5人が解任されていたため唯一の弁護人だった)大谷恭子が「精神鑑定申請補充書 2」をそれぞれ提出した一方で精神鑑定申請弁護団にとって「最後の手段」であったが、これに激怒した永山当時河出書房新社の『文藝編集部から「『木橋』(1984年7月刊行され小説集)に連なるものが欲しい」と依頼され取り組んでいた小説執筆中断し1986年1月23日には主任弁護人鈴木について「鈴木申請したものは精神医学による鑑定のみで、自身科学思想殺し権力犯罪揉み消すものだから受諾できない」との理由から解任届を提出したまた、同年2月26日には弁護人4人(舟木友比古・古川労・渡辺務・新美隆)についても「事実歪曲した上で人格中傷攻撃行っている」として、同年3月31日には大谷についても「自身への人格攻撃をしている」として、それぞれ解任届を提出した結局東京高裁弁護人不在事態解消するため、同年4月4日鈴木・大谷を「本事件被告人永山精通している」との理由から職権国選弁護人選任した。これを受け、鈴木永山面会して精神鑑定を受けるよう説得したが、受け入れられなかったことから「これ以上被告人弁護できない」として、第13回公判同年4月25日)には鈴木・大谷の2弁護人とも出廷しなかった。そして同年5月8日鈴木・大谷両弁護士石田裁判長に「国選弁護人選任命令自分たちの承諾得ず出されたもので無効である」として命令撤回申し入れ同年5月20日には第二東京弁護士会会長東京高裁長官対し「当会では『裁判所直接国選弁護人受任してはならない』と定めており、当会も鈴木・大谷を推薦していない。選任命令撤回し私選弁護人選任なければ『特別案件』として弁護士会推薦依頼をなすべきだ」と申し入れた。これを受け、同年7月15日高裁鈴木・大谷両弁護人解任し、新たな国選弁護人として遠藤誠第二東京弁護士会所属)が選任された。 第14回公判1986年9月24日)では遠藤弁護人が元弁護人鈴木・大谷両弁護士からこれまでの弁護活動について尋問したほか、永山が自ら作成した業績鑑定請求書」を東京高裁提出した第15回公判1986年10月15日)で永山離婚した元妻情状証人として出廷し、「自分永山理解しようとしたが、やがて自分を『CIAスパイ呼ばわりするようになり、理解できなくなった。『静岡事件』と『三億円事件』を結びつけるのは完全な誤解だ。弁護人支援者らが次々と永山の許を去ったのは、彼の精神状態不健康だからだ。精神鑑定を受けなければ永山公正な裁判受けられない」と陳述した第16回公判同年11月12日) - 第18回公判同年12月12日)には被告人永山への被告人質問が行われ、遠藤は「永山言いたいことを言わせ裁判官判断してもらおう」とし、永山事件起こすまでの経緯起訴後弁護人支援者たちから翻弄され続けたことなどを話させた。第18回公判にて永山最後被告人質問に当たり、以下のように陳述したマルクス主義は古い科学で、僕の思想マルクス超えた。かつて無知だったころ、同じ階級仲間殺したことは、深く反省しているが、今の僕は殺される理由がない。死刑ファシズム刑罰であり、学術的な面で人類に役立つ世界二人といない科学者の僕を、決し当局が殺すことはできない — 永山則夫佐木隆三 (1994) , p.454 第七弁護団請求していた精神鑑定永山請求していた業績鑑定はいずれも同公判却下され事実審理終了した。そして次回1987年昭和62年1月19日最終弁論が行われて結審し、弁護人遠藤は「永山事件当時精神的に未成熟だったが、現在は深く反省している。応報主義により死刑処して永山抹殺するではなく、自らの罪を自覚させることにより更生させ、世に有益な人材生まれわらせる教育刑主義唱える少年法精神尊重すべきだ」と死刑回避求めた一方検察官山田一夫吉村徳則両検事)は「永山職歴事件経緯動機手段などを見れば事件当時永山年齢当に十分成熟していた。証拠上明かでない事実前提に『本件には少年法51条の精神を及ぼすべきだ』とした差戻前控訴審判決判断は、最高裁判決指摘する通り首肯し難いもので、永山現時点でも『最高裁判決ファシズム裁判で、自分死刑にすることは全人類へ犯罪だ』と主張しているほか、『あくまで自己の犯罪原因資本主義国家社会にある』とする思考第一審以来現在まで全く変わっていない。反省悔悟の情は深まっておらず、量刑有利に斟酌されるべき新たな事情見当たらないため、弁護人および被告人永山)による控訴棄却されるべきだ」と訴えた

※この「永山と弁護団の対立」の解説は、「永山則夫連続射殺事件」の解説の一部です。
「永山と弁護団の対立」を含む「永山則夫連続射殺事件」の記事については、「永山則夫連続射殺事件」の概要を参照ください。

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