永山則夫入会保留問題
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/06 13:25 UTC 版)
「日本文藝家協会」の記事における「永山則夫入会保留問題」の解説
1990年、協会に入会申請した永山則夫の入会を日本文藝家協会が事実上拒否した問題について、辺見庸は以下のように述べている。 永山は1990年、編集者らの勧めで日本文芸家協会に入会申請したのだが、同協会の入会委員会が、決定を〝保留〟したという事実である。偏見、無理解、誤解、差別、守旧性、特権者意識ゆえの、実際上の拒否であった。いく人かのまっとうな表現者たちが、これに抗議して退会し、永山は結局、申請を取り下げる意思を明らかにした。永山を文芸家協会に入れさせたい、とする人々は、そうすることで国家が彼を殺すのをなんとか防げることができれば、という、これは文芸家として当然すぎるほど当然な思いをも込めていたのである。 — 辺見庸、『眼の探索』(2001) p15 角川書店
※この「永山則夫入会保留問題」の解説は、「日本文藝家協会」の解説の一部です。
「永山則夫入会保留問題」を含む「日本文藝家協会」の記事については、「日本文藝家協会」の概要を参照ください。
- 永山則夫入会保留問題のページへのリンク