山田一夫とは? わかりやすく解説

山田一夫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/26 18:19 UTC 版)

山田一夫

山田 一夫(やまだ かずお、1919年3月25日[1] - 2006年1月29日[1])は、日本撮影監督東京都出身。孫に芸人の吉田猛々

経歴

1944年東宝の撮影助手として入社。三浦光雄中井朝一らに師事する。その後東宝の三船敏郎が独立した三船プロダクションに参加。

エピソード

第二次世界大戦終戦直後、山田は三船敏郎東宝入社に一役買っている。当時、三船敏郎が、カメラマンの仕事を求めて東宝撮影部助監督だった大山年治を訪ねたとき、撮影部は空きがなかったため、とりあえずニューフェイスの募集にいくようにすすめられる。受かれば後日、撮影部の空きが出次第呼ぶと約束される。当時東宝の撮影部の委員をしていた山田は、大山からその話を聞き、また、三船の体格がよかったため、機材を運ぶ重労働にも役に立つと判断し、ニューフェイスの審査員の一人であるカメラマンの三浦光雄に、三船が採用されるように依頼する。さらに、ニューフェイスの審査員長をしていた山本嘉次郎監督にも、後に撮影部に空きが出たときに引き取るからと約束し、頭を下げて採用をお願いしている。そのおかげもあって本来は不合格だったところ、山本監督、また黒澤監督が周囲を説得し、三船は東宝のニューフェイス募集に合格する。後の話になるが、三船が独立したときには、山田を三船プロダクションに迎え入れ、多くの作品の撮影を依頼した。[2]

代表作

上意討ち 拝領妻始末』(1967年)のスタッフとキャスト。
前列左から、仲代達矢小林正樹三船敏郎田中友幸。後列左から、松江陽一、山田一夫、奥山重之助田実泰良

受賞歴

脚注

  1. ^ a b c d 野村宏平、冬門稔弐「3月25日」『ゴジラ365日』洋泉社映画秘宝COLLECTION〉、2016年11月23日、87頁。ISBN 978-4-8003-1074-3 
  2. ^ 松田美智子「三船敏郎の栄光とその破滅」(月刊文藝春秋 2013年11月号) より、改訂され『サムライ 評伝三船敏郎』(文藝春秋、2014年)

参考文献

外部リンク





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