構想転換から閉学までの流れとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 構想転換から閉学までの流れの意味・解説 

構想転換から閉学までの流れ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/01 23:47 UTC 版)

東京都立大学 (1949-2011)」の記事における「構想転換から閉学までの流れ」の解説

2003年8月1日東京都大学管理本部2002年大学改革推進資するため設置。以下、管理本部とする)が、それまで大学関係者交え議論合意してきた「東京都大学改革大綱」を一方的に破棄した上で都立新し大学構想について」を発表した9月25日都立大人文学部抗議声明出した10月7日都立大総長茂木俊彦が「新大設立準備体制速やかな再構築求める」という声明出した11月1日法政大学社会学部荒井容子中心に都立大学考え都民の会」が発足した12月5日、「東京都新大学の学部理念河合塾委託」という報道なされた。なお、これは「理念作成詳細設計必要な資料」の作成外注しものとい答弁後日都議会なされている。 12月11日法学部4教授のうち、2名の抗議辞職、2名の体調不良による退職都立大法科大学院入試延期された(2004年2月実施)。家族法石井美智子行政法磯部力それぞれ明治大学立教大学移籍した12月26日都立大理学工学部都立科技大教官110名が「一方的な新大設立準備見直し開かれた大学改革求める」という声明出した2004年1月14日文部科学省21世紀COEプログラム事業推進者都立大学経済学部近代経済学グループが「管理本部新大構想設立準備体制見直しを」という声明出した1月26日筑波大学哲学者鬼界彰夫研究者1280名を代表して都立大に関する文科大臣への要望書」を文部科学大臣提出した2月6日、「東京都立大学」が名称公募では最多だったが、管理本部新大学名として首都大学東京発表2月28日日比谷公会堂で「東京都大学改革考えシンポジウム」が金子勝等を招き開催され、約1800人が参加した3月19日、都文教委員会で「現大学評議会教授会協議し妥協することは構造的にありえない」と管理本部発言した3月31日付で、国際文化コースへの統合決定され人文学部文学英文学専攻では英語学会長当時)の中島平三学習院大学に、仏文学専攻ではレヴィナス論の合田正人明治大学移籍した経済学部では労働経済学神林龍一橋大学に、応用ミクロ経済学大瀬戸真次、畳谷整克がそれぞれ東北大学神戸大学移籍した4月7日就任意思確認書就任承諾書)未提出だったCOEグループ見切りをつけた管理本部が、経済学コース設置見送り発表。既に移籍決定した者を含めた近代経済学グループ16名中15名が新大学への就任承諾提出拒否した6月23日首都大学東京就任者の一部によって「首大非就任者の会ウェブサイト」(kubidai.com) が開設された。ただし、同会の会員運営者等は一切明らかにされていない7月3日文科省大学設置審が新大早期認可見送った。これは、就任承諾書非提出者25名にのぼったことにより、4月設置申請提出内容7月設置申請提出内容との間に大きな変更があったためである。 8月3日4大教員声明呼びかけ人会より「新大学を巡る危機的状況対し全ての関係責任者緊急対応求める」との声明出された。 9月30日文科省大学設置審が5つ留意事項をつけて新大開設認可した。このとき申請内容から経済学コースは完全に消滅した留意事項には「設置者及び各大学間の連携を十分図り」などとあった。 10月7日東京都立大学総長茂木俊彦が「新大設置認可答申受けて」と題した声明文の中で「東京都留意事項大学意見真摯に受け止め改善努力を行うべき」 という主旨意見表明をした。新大開設既定化された後も、抗議活動収束することはなかった。 10月13日近代経済学グループ16名中15名が新大学への就任承諾提出拒否した結果21世紀COEプログラム金融市場ミクロ構造制度設計」を返上する事態となったことが発表された。 10月19日東京都庁大会議室開かれた首都大学東京サポートする組織設立総会祝辞の中で、石原慎太郎東京都知事が「フランス語は数を勘定できない言葉だから国際語として失格しているのも、むべなるかなという気がするそういうものにしがみついている手合い反対のための反対をしている。笑止千万だ。」と発言する石原知事経済学部COE返上問題について「一部バカ野郎反対して(COEの)金がでなくなったが、あんなものどうでもいい」と発言している。 2005年3月31日付で、東京都立大学総長茂木俊彦任期満了し歴代総長最後の職を終えた人文学部では、文学英文学専攻では折島正司、末廣幹、高見健一それぞれ青山学院大学専修大学学習院大学移籍した文学独文学専攻では岡本順治学習院大学移籍した文学国文学専攻では荻野綱男、小林賢次それぞれ日本大学京都女子大学移籍した心理教育学科では総長茂木俊彦桜美林大学移籍した社会学科社会人類学専攻では、大塚和夫東京外国語大学移籍した法学部では法哲学名和田是彦法政大学に、行政法人見剛北海道大学に、日本法制史水林彪一橋大学移籍した経済学部では、近代経済学グループでは計量経済学浅野皙が筑波大学に、経済成長論戸堂康之青山学院大学に、金融論日向野幹也立教大学に、21世紀COEプロジェクトリーダー渡部敏明が日本銀行金融研究所経て2006年4月より一橋大学に、労働経済学中村二郎ゲーム理論丸田利昌、産業組織論村上直空間経済学村田安寧日本大学移籍した経営学グループでは会計学川本淳が学習院大学に、経営組織論松嶋登が神戸大学移籍した経済史グループでは経済思想史深貝保則横浜国立大学移籍した。なお離職退職した者、離職はしない新大学への就任をしなかった者については記載していない。 4月1日新大学・首都大学東京開学東京都大学管理本部解散し総務局首都大学支援部となる。また、東京都立大学条例廃止に伴い公立大学法人首都大学東京設置され、(旧)東京都立大学は、同法人の所管となった7月13日仏語学校経営者らが2004年10月19日知事発言に対して謝罪広告損害賠償求め訴え東京地方裁判所起こす2011年3月31日付で、(旧)東京都立大学廃止された。

※この「構想転換から閉学までの流れ」の解説は、「東京都立大学 (1949-2011)」の解説の一部です。
「構想転換から閉学までの流れ」を含む「東京都立大学 (1949-2011)」の記事については、「東京都立大学 (1949-2011)」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「構想転換から閉学までの流れ」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「構想転換から閉学までの流れ」の関連用語

1
10% |||||

構想転換から閉学までの流れのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



構想転換から閉学までの流れのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの東京都立大学 (1949-2011) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS