日本酒に関する古文書
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「日本酒の歴史」の記事における「日本酒に関する古文書」の解説
古事記(こじき) 712年 太安万侶ほか。百済人須須許里(すすこり)が大御酒(おおみき)を天皇に献上したとの記述あり。 大隅国風土記(おおすみのくにふどき) 713年以降 逸文に口嚼ノ酒(くちかみのさけ)に関する記述あり。 播磨国風土記(はりまのくにふどき) 716年? 濡れた干し飯に生えたカビからできた酒に関する記述あり。 日本書紀(にほんしょき) 720年 舎人親王ほか。八塩折之酒、国樔(くず)の醴酒(こざけ)献上、餌香市(えがのいち)の旨酒や吉備の旨酒の記述など、神代から持統天皇時代までの日本酒に関する記述多し。 万葉集(まんようしゅう) 759年以降成立、7世紀後半から8世紀後半頃に編纂。酒に関する歌が多数詠まれており、特に大伴旅人は「讃酒歌十三首(酒を讃むる歌十三首)を残している。以下は酒の種類や作った場所などがわかる歌。 験(しるし)なき 物を思はずは 一坏(ひとつき)の 濁(にご)れる酒を 飲むべくあるらし - 大伴旅人 巻3-338 酒の名を 聖(ひじり)と負(お)ほせし 古(いにしへ)の大き聖の 言(こと)の宣(よろ)しさ - 大伴旅人 巻3-339(聖人=中国での清酒の隠語) 價(あたい)なき 宝といふとも 一坏(ひとつき)の 濁(にご)れる酒に 豈(あ)にまさめやも - 大伴旅人 巻3-345 古人(ふるひと)の 飲(たま)へしめたる 吉備の酒 病(や)めばすべなし 貫簀(ぬきす)賜(たば)らむ - 丹生女王(にふのおおきみ) 巻4-554 君がため 醸(か)みし待酒(まちさけ) 安(やす)の野に 独りや飲まむ 友無しにして - 大伴旅人 巻4-555 天平元年(729年)頃の歌。 天地(あめつち)と 久(ひさ)しきまでに 万代(よろづよ)に 仕え奉らむ 黒酒白酒(くろきしろき)を - 文屋智努(智努王) 巻19-4275 味飯(うまいひ)を 水(みづ)に醸(か)み成(な)し 我(あ)が待ちし 代(かひ)はかつてなし 直(ただ)にしあらねば - 車持氏娘子(くるまもちのうぢのをとめ) 巻16-3810 梯立(はしたて)の 熊来酒屋(くまきさかや)に まぬらる奴 わし さすひ立て 率(ゐ)て来なましを まぬらる奴 わし - 能登国の歌(作者未詳) 巻16-3879(酒屋=酒蔵、醸造所) そのほか山上憶良の貧窮問答歌 巻5-892に「糟湯酒」の記述がある。 令集解(りょうのしゅうげ) 868年? 惟宗直本著。全50巻中36巻が現存。養老律令の私撰注釈書で、飛鳥時代から奈良時代と推定される米麹による酒造法が記述されている。 延喜式(えんぎしき) 927年 藤原忠平ほか著。律令の施行細則50巻。平安時代初期までの朝廷による酒造について記述されている。 御酒之日記(ごしゅのにっき) 1355年または1489年 著者不詳。中世の酒造法が詳しく記されている。秋田藩佐竹家に伝わっていた、日本最初の民間の酒造技術書。 多聞院日記(たもんいんにっき) 1478年-1618年 僧英俊ほか著。興福寺塔頭多聞院で140年にわたり歴代つけられていた日記。当時の酒、醤油、味噌などに関する製造記録を含む。 童蒙酒造記(どうもうしゅぞうき) 1687年? 著者不詳。鴻池流を中心とした酒造技術書。現存するこの分野の書では、江戸時代を通じて質量ともに最高の内容を誇る。 本朝食鑑(ほんちょうしょっかん) 1697年 人見必大著。江戸時代前期の食に関する百科全書。 和漢三才図会(わかんさんさいずえ) 1713年 寺島良安著。日本初の絵入り百科事典。 日本山海名産図会(にほんさんかいめいさんずえ) 1799年 木村兼葭堂著。伊丹や灘で造られている下り酒の様子が詳細な絵入りで説明されている。 手造酒法(てづくりしゅほう) 1813年 『東海道中膝栗毛』で名高い十返舎一九(じっぺんしゃいっく)が書いた当時のグルメ本。前半は様々な酒に関して薀蓄が垂れられている。 守貞漫稿(もりさだまんこう) 1853年 喜田川守貞著。江戸時代末期の酒に関する風俗、流通、酒器について述べたもの。酒を通じて当時の庶民の生活が伝わってくる。
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