日本酒にまつわる事件
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「日本酒の歴史」の記事における「日本酒にまつわる事件」の解説
亭子院の酒合戦(ていしいんのさけがっせん) 延喜11年(911年) 『本朝文粋』に記述あり。宇多上皇が主催し、覚えのある有力貴族が酒豪を競った。多くの参加者が泥酔、吐瀉する中、藤原伊衡だけが乱れず。 文安の麹騒動(ぶんあんのこうじそうどう) 文安1年(1444年) 武力衝突により麹屋業の滅亡。以後、麹造りは酒屋業の仕事の一部に。 宮中十種酒十度飲の宴 文明6年(1474年) 『親長卿記』に記述あり。 醍醐の花見(だいごのはなみ) 慶長3年(1598年) 豊臣秀吉はこのとき諸国の銘酒を献上させた。また南蛮酒として、広く海外からも珍酒が集められた。 川崎大師河原の酒合戦(かわさきだいしがわらのさけがっせん) 慶安1年(1648年)茨城春朔『水鳥記』に記述あり。江戸市中のみならず武蔵、相模などから身分を問わず酒豪が集められ、東西両軍に分かれて競った。 千住の酒合戦(せんじゅのさけがっせん) 文化12年(1815年)、千住宿に住む中屋六衛門の六十歳の誕生日を祝う競飲会として催された。大田南畝『後水鳥記』、高田与清『擁書漫筆』に記述あり。化政文化の一端がのぞかれる。 万八楼の酒合戦(まんはちろうのさけがっせん) 文化14年(1817年)、両国橋で行われた飲み喰い競争。大喰いの部と大酒飲みの部に参加者が分けられた。千住の酒合戦の拡大版。 大阪酒屋会議事件 1882年(明治15年) 酒造業者の明治政府への増税反対運動が高まり、大阪府警は酒屋会議を禁止。酒屋は淀川の舟の中や、京都で会議を強行。 熊谷の酒合戦(くまがやのさけがっせん) 1927年(昭和2年)、埼玉県大里郡熊谷町(寄居町)で催された競飲会。只飲みを防ぐための工夫がこらされた。以後、1930年代に入ると国情不安、軍部の台頭などによりこのような風俗はつとに減少し、また日本酒をめぐる情勢も激変していくこととなる。 神奈川税務署員殉職事件 1947年(昭和22年)6月、密造酒の製造基地のひとつであった川崎市の在日朝鮮人集落を摘発した税務署員が殺害された事件。 どぶろく裁判 1984年(昭和59年)から1989年(平成元年)にかけて、食文化における国民の幸福の追求と、国家の税収確保を争点として、自家製酒どぶろくをめぐって最高裁まで争われた裁判。 全国小売酒販組合中央会年金資金不正支出事件 2005年(平成17年)。2000年代後半に起きた年金問題の関連事件。
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