日本国有鉄道発足から高速道路時代へ
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「国鉄バス」の記事における「日本国有鉄道発足から高速道路時代へ」の解説
1949年、公共企業体である日本国有鉄道の発足に伴い、省営自動車は国鉄自動車として再スタートを切った。なお、公共企業体への移行を機に国鉄バスのシンボルマークを一般公募し、1950年10月14日に発表された。動輪上に流線を描くツバメをあしらった「つばめマーク」は、若干のアレンジが加わったものの、今なおJRバス各社のシンボルマークとして親しまれている。 1951年には国鉄自動車は道路運送法の適用を受けることになり、道路運送における秩序の確立のため、民間バス事業者と対等の立場となった。この頃、民間バス事業者の成長とともに、国鉄自動車との間に数々の摩擦も生じるようになった。このため、政府は1952年に国鉄自動車の事業範囲についての見解を出した。これが国鉄自動車の4原則である。この原則に該当する路線であっても、民間バス事業者との調整は慎重に行うこととされた。1954年には、国鉄バスと民間バスの調整に関する勧告を行い、バス業界の発展のために十分な調整を行うこととされた。しかし、住民からの路線拡張に対する要望は大きく、1955年までに営業キロは12,033キロとなった。バス1629両、トラックは766台と、戦時中から戦後にかけての物資輸送が一段落したこともあり、トラック輸送の比率は小さくなった。 1955年以降、自動車産業の復興と道路網の整備が進むにつれ、それまでは鉄道の輸送分野といわれていた中距離輸送についても、バスが進出することになった。1955年6月には運輸大臣の諮問機関として「日本国有鉄道経営調査会」が設置されていたが、答申の中では国鉄自動車についてもふれられており、「自衛手段として、自動車輸送の拡大を図るべきである」との答申を出した。 1957年には国土開発縦貫自動車道建設法が制定され、1964年には名神高速道路が全線開通することも決まったことから、日本でも本格的な高速道路時代が到来し、陸上輸送体系が大幅に変わることが予想された。これは、それまで中距離輸送まで進出していたバスが、幹線輸送の分野へも進出することを意味するものであり、国鉄はもちろん、国鉄バスにとっても無視できない問題であった。同年7月には、国鉄自動車の基本方針として「従来の4原則を踏襲しつつ、都市間の幹線にバスを運行することで鉄道輸送の補完を図り、今後開通する高速道路におけるバス事業は国鉄バスが行うべきである」と決定した。 さらに、1962年には国鉄総裁の諮問機関として「国鉄自動車問題調査会」が設けられた。これは、陸上輸送体系の変化に対応できる国鉄自動車事業分野の方向性を検討するものであった。1962年12月、調査会は国鉄バスの輸送分野として、「国鉄の鉄道線の並行道路上の路線及び鉄道と共に組み合わされて幹線交通網の一環を成すべき路線、並びに地域開発上必要と認められる路線」と答申した。これにより、鉄道との機能補完による全国的な統一輸送網を形成することが国鉄バスの今後の方針である、と決定した。これにより、国鉄バスの原則に新たに「鉄道線の補完」が加わり、国鉄自動車の5原則となったのである。 これより前、名神高速道路の全線開通を控え、1961年には名神高速道路上の路線開設を申請していたが、全ての申請を合計すると80往復以上となり、供給過剰で認可できるものではなかった。この需給調整が行われている中で決定された国鉄バスの方針については、民間事業者から「国家資本による民業の圧迫である」と激しい反発を受けた。運輸省では「名神高速道路上のバス路線の運行は、民間バス事業者の出資による日本急行バスが望ましく、国鉄もこれに出資すべき」という見解を発表したが、国鉄自動車問題調査会では「高速道路上のバス事業は国鉄と民営の並存が望ましい」との所信を発表、国鉄は日本急行バスへ出資の意志はないことも改めて明言した。 名神高速道路上のバス路線については運輸審議会による公聴会が1964年7月10日 - 14日の5日間にわたり実施され、その結果を受けて運輸審議会では「輸送の重要性に鑑み、他の民営事業者との調整を図りながら、国鉄をしてこの事業を行なわせることが適当である」との答申を行い、これを受けて運輸省は、国鉄バスの路線開設について認可した。また、内閣法制局は、鉄道の機能補完を行う幹線輸送について、「国有鉄道が営む鉄道事業の目的を十分達成するために、あわせ営むのが合理的と考えられる範囲の自動車運送事業」という解釈を示した。この時点で、国鉄バスが高速道路上のバス路線へ参入することが確定したのである。 1948年 - 伊那自動車区開設。 1949年 - 新潟鉄道局三条営業所開設(のち新潟へ移転)。 1950年新潟鉄道局象潟営業所小国支所開設。 4月1日 - 国鉄自動車局東北地方自動車事務所・信越地方自動車事務所開設。 1955年12月15日 - 長野原 - 野反湖にて花敷線の運行を開始。 1956年12月10日 - 小諸自動車営業所開設。 1958年3月10日 - 山口駅 - 博多駅間にて関門急行線の運行を開始。西日本鉄道との相互乗り入れで国鉄6往復・西鉄5往復。 1964年10月5日 - 名神高速線(名古屋駅 - 大阪駅・神戸駅間)開業。 1965年3月6日 - 名神高速線(名古屋駅 - 京都駅間)開業。
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