日本国有鉄道発足から高速道路時代へとは? わかりやすく解説

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日本国有鉄道発足から高速道路時代へ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/24 09:20 UTC 版)

国鉄バス」の記事における「日本国有鉄道発足から高速道路時代へ」の解説

1949年公共企業体ある日本国有鉄道の発足に伴い省営自動車国鉄自動車として再スタート切った。なお、公共企業体への移行機に国鉄バスシンボルマーク一般公募し、1950年10月14日発表された。動輪上に流線を描くツバメあしらった「つばめマーク」は、若干アレンジ加わったものの、今なおJRバス各社シンボルマークとして親しまれている。 1951年には国鉄自動車道路運送法適用を受けることになり、道路運送における秩序確立のため、民間バス事業者対等立場となったこの頃民間バス事業者成長とともに国鉄自動車との間に数々摩擦生じようになったこのため政府1952年国鉄自動車事業範囲についての見解出した。これが国鉄自動車4原則である。この原則該当する路線であっても民間バス事業者との調整慎重に行うこととされた。1954年には、国鉄バス民間バス調整に関する勧告行いバス業界の発展のために十分な調整を行うこととされた。しかし、住民からの路線拡張対す要望大きく1955年までに営業キロ12,033キロとなったバス1629両、トラック766台と、戦時中から戦後にかけての物資輸送一段落したこともあり、トラック輸送比率小さくなった。 1955年以降自動車産業復興道路網の整備が進むにつれ、それまで鉄道輸送分野といわれていた中距離輸送についても、バス進出することになった1955年6月には運輸大臣諮問機関として「日本国有鉄道経営調査会」が設置されていたが、答申の中では国鉄自動車についてもふれられており、「自衛手段として、自動車輸送拡大を図るべきである」との答申出した1957年には国土開発縦貫自動車道建設法が制定され1964年には名神高速道路全線開通することも決まったことから、日本でも本格的な高速道路時代到来し陸上輸送体系大幅に変わることが予想された。これは、それまで中距離輸送まで進出していたバスが、幹線輸送分野へも進出することを意味するものであり、国鉄はもちろん、国鉄バスにとっても無視できない問題であった同年7月には、国鉄自動車基本方針として「従来4原則踏襲しつつ、都市間の幹線バス運行することで鉄道輸送補完図り今後開通する高速道路におけるバス事業国鉄バスが行うべきである」と決定した。 さらに、1962年には国鉄総裁諮問機関として「国鉄自動車問題調査会」が設けられた。これは、陸上輸送体系変化対応できる国鉄自動車事業分野方向性検討するものであった1962年12月調査会国鉄バス輸送分野として、「国鉄鉄道線並行道路上路線及び鉄道と共に組み合わされ幹線交通網一環を成すべき路線並びに地域開発上必要と認められる路線」と答申した。これにより、鉄道との機能補完による全国的な統一輸送網を形成することが国鉄バス今後の方針である、と決定した。これにより、国鉄バス原則新たに鉄道線補完」が加わり国鉄自動車の5原則となったのである。 これより前、名神高速道路全線開通控え1961年には名神高速道路上の路線開設申請していたが、全ての申請合計する80往復以上となり、供給過剰認可できるものではなかった。この需給調整が行われている中で決定され国鉄バス方針については、民間事業者から「国家資本による民業圧迫である」と激し反発受けた運輸省では「名神高速道路上のバス路線運行は、民間バス事業者出資による日本急行バス望ましく国鉄もこれに出資すべき」という見解発表したが、国鉄自動車問題調査会では「高速道路上のバス事業国鉄民営並存が望ましい」との所信発表国鉄日本急行バス出資意志はないことも改め明言した名神高速道路上のバス路線について運輸審議会による公聴会1964年7月10日 - 14日5日間にわたり実施されその結果受けて運輸審議会では「輸送重要性鑑み、他の民営事業者との調整図りながら、国鉄をしてこの事業行なわせることが適当である」との答申行い、これを受けて運輸省は、国鉄バス路線開設について認可したまた、内閣法制局は、鉄道機能補完を行う幹線輸送について、「国有鉄道が営む鉄道事業目的を十分達成するために、あわせ営むのが合理的考えられる範囲自動車運送事業」という解釈示した。この時点で、国鉄バス高速道路上のバス路線参入することが確定したのである1948年 - 伊那自動車開設1949年 - 新潟鉄道局三条営業所開設(のち新潟移転)。 1950年新潟鉄道局象潟営業所小国支所開設4月1日 - 国鉄自動車局東北地方自動車事務所信越地方自動車事務所開設1955年12月15日 - 長野原 - 野反湖にて花敷線運行開始1956年12月10日 - 小諸自動車営業所開設1958年3月10日 - 山口駅 - 博多駅間にて関門急行線運行開始西日本鉄道との相互乗り入れ国鉄6往復西鉄5往復1964年10月5日 - 名神高速線名古屋駅 - 大阪駅・神戸駅間開業1965年3月6日 - 名神高速線名古屋駅 - 京都駅間)開業

※この「日本国有鉄道発足から高速道路時代へ」の解説は、「国鉄バス」の解説の一部です。
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