日本の花押とは? わかりやすく解説

日本の花押

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 15:47 UTC 版)

花押」の記事における「日本の花押」の解説

江戸中期故実家伊勢貞丈は、『押字考』のなかで花押を5種類分類しており、後世の研究家も概ねこの5分類踏襲している。5分類は、草名体二合体一字体別用体明朝体である。 坂上経行草名体源頼親二合体平忠盛一字体三好宗渭別用体徳川家康明朝体日本では初めは名を楷書体自署したが、次第草書体くずした署名草名そうみょう〉という)となり、それが文字離れ極端に特殊化したものを花押呼んだ。日本の花押の最古例は、10世紀中葉ごろに求められるが、この時期草名体のものが多い。933年承和3年)における右大史坂上経行署名草名から花押への過渡期のもので、日本における花押初見ともされる11世紀に入ると、実名2字部分(偏や旁など)を組み合わせて図案化した二合体生まれた源頼親は「束」と「見」を組み合わせたものを用いたまた、同時期に実名のうち1字だけを図案化した一字体散見されるようになった平忠盛の「忠」一字花押などがそれである。いずれの場合でも、花押自署代用であることを踏まえて実名をもとにして作成されることが原則であった。なお、当初貴族社会生まれた花押だったが、11世紀後期ごろから、庶民文書田地売券など)にも花押現れ始めた当時庶民花押特徴実名花押併記する点にあったが、これは貴族社会違って花押のみでは誰の署名識別できないために生まれた方法であった鎌倉時代以降武士による文書発給格段に増加したことに伴い武士の花押用例激増した。そのため、貴族のものとは異なる、武士特有の花押形状署記方法生まれた。これを武家様(ぶけよう)といい、貴族花押様式公家様(くげよう)という。本来、実名をもとに作る花押であるが、鎌倉期以降武士には、実名とは関係なく父祖主君花押模倣する傾向があった。北条氏では北条時政または義時花押類型をとり、足利氏やその麾下でも足利尊氏花押時政類型)を脈々と模倣して足利様(あしかがよう)と呼ばれる流れ形成し室町時代武家花押はほとんど足利であったもう一つ武士花押特徴として、平安期庶民慣習受け継ぎ実名花押併記していたことが挙げられる武士右筆文書作成させ、自らは花押のみを記すことが通例となっていた。そのため、文書真偽判定する場合公家法では筆跡照合重視されたのに対し武家法では花押照合が重要とされた。公家様では、鎌倉後期以降複雑で筆順の多い花押流行し室町時代以降そのまま定型化した。全体傾向として、単純な花押中下層の公家定型化した複雑な花押上層公家見られる。なお、主に中世禅僧宋・元代中国から輸入した花押用いたが、前節述べたとおりこれらは単純な形を示しており、禅僧様(ぜんそうよう)と呼ばれる鎌倉時代から南北朝時代にかけての臨済宗の僧大陽義沖の花押は、道号大陽」をそのまま表象落とし込んだものと思われるこのように文字ではなく絵などを元にした花押別用体という。 戦国時代になると、花押様式著しく多様化した。名前の漢字裏返した倒したりして偽造防止したものが現れたほか、必ずしも実名ではなく通称苗字、または無関係な字をもとに作成されるようになり、最初期では足利義持義政の「慈」字花押、のちには織田信長の「麟」字花押や羽柴秀吉豊臣秀吉)の「悉」字花押などの例が見られる三好宗渭水鳥)や伊達政宗セキレイ)などのように図案化した別用体現れた。家督継いだ子が、父の花押引き継ぐ例も多くあり、花押自署という役割だけでなく、特定の地位象徴する役割担い始めていたと考えられている。花押を版刻したものを墨で押印する花押型(かおうがた)は、鎌倉期から見られるが、戦国期になって広く使用されるようになり、江戸期にはさらに普及したこの花押型普及は、花押印章同じよう用いられ始めたことを示している。また、上下並行した横線を2本書き、中間図案入れたものを明朝体という。明朝体は、明の太祖がこの形式花押用いたことに由来するといわれ、徳川家康採用したことから徳川将軍代々継承され江戸時代花押基本形となり、徳川判とも呼ばれた。しかし江戸時代には花押使用例少なくなり、印鑑使用例増加していった。特に百姓層では、江戸中期ごろから花押見られなくなりもっぱら印鑑用いられるようになった1873年明治6年)には、実印のない証書裁判上の証拠ならない旨の太政官布告が発せられた。花押禁止されわけではないものの、ほぼ姿を消し印鑑取って代わることとなったその後押印要求する文書について必要に応じて法定され、対象外文書であっても押印有無自体文書真正の証明に関する問題として扱われることに伴い上記太政官布告失効した。しかし、花押署名としての効力はあり、押印要する文書について花押押印一種として認めるべき旨の見解自筆証書遺言要求される押印など)が現れるようになった一方2016年6月3日最高裁判決では、遺言書について「花押書くことは、印章による押印同視することはできず、民法968条1項押印要件満たさない」との判断なされた日本国政府閣議における閣僚署名は、明治以降花押で行うことが慣習となっている。多く閣僚閣議における署名以外では花押を使うことは少ないため、閣僚就任とともに花押用意しているケースが多い。 21世紀日本ではパスポートクレジットカード署名企業での稟議官公庁での決裁などに花押用いられることがあるが、印章捺印の方が早くて簡便である為非常に稀である。旧日本国有鉄道においては、駅内文章に駅長花押用いられており、JR移行後の現在でも、一部駅長(特に国鉄出身者)は花押以って確認の証としている。

※この「日本の花押」の解説は、「花押」の解説の一部です。
「日本の花押」を含む「花押」の記事については、「花押」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「日本の花押」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「日本の花押」の関連用語

1
12% |||||

2
6% |||||


日本の花押のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



日本の花押のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの花押 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS