日本のお歯黒の歴史とは? わかりやすく解説

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日本のお歯黒の歴史

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/04 00:43 UTC 版)

お歯黒」の記事における「日本のお歯黒の歴史」の解説

起源わかっていないが、初期には草木果実染め習慣があり、のちにを使う方法鉄器文化とともに大陸から伝わったようである。 古墳埋葬されていた人骨埴輪にはお歯黒の跡が見られる『山海経』黒歯国『三国志』魏志倭人伝では倭国東南方)があると記述がある。 天平勝宝5年753年)に鑑真持参した製法東大寺正倉院現存する鑑真中国から伝えた製造法古来のものより優れていたため徐々に一般に広まっていったが、その製造法当初仏教寺院管理にあった。このあたりが一般に日本お歯黒仏教由来する習俗と言われる所以かもしれないお歯黒に関する言及『源氏物語』、『堤中納言物語』にもある。平安時代末期には、第二次性徴達し元服裳着迎えにあたって女性のみならず男性貴族平氏などの武士大規模寺院における稚児行った。特に皇族上級貴族袴着済ませた少年少女化粧お歯黒引眉を行うようになり、皇室では幕末まで続いた室町時代には一般大人にも浸透したが、戦国時代に入ると結婚備えて8〜10歳前後戦国武将息女成年の印として鉄漿付け行ない、このとき鉄漿付けする後見親族夫人鉄漿親かねおや)といった。また、一部戦国武将(主に小田原北条家をはじめ他)は戦場赴くにあたり首を打たれても見苦しくないように、ということから女性並み化粧をし、お歯黒まで付けたという。[要出典]これらの顔が能面女面少年面、青年面に写された。戦国時代までは戦で討ち取った首におしろいお歯黒などの死化粧を施す習慣があり、首化粧、首装束呼ばれた。これは戦死者称える行為であったが、身分の高い武士化粧施し身なり整えて出陣したことから、鉄漿首(お歯黒のある首)は上級武士討ち取ったことを示す証ともなったため、功を高める(禄を多く受ける)目的で白い歯の首にもお歯黒を施すこともあった。 江戸時代以降皇族・貴族以外の男性の間ではほとんど廃絶また、悪臭手間、そして老けた感じになることが若い女性から敬遠されたこともあって既婚女性未婚でも1820歳上の女性、および、遊女芸妓化粧として定着した農家においては祭り結婚式葬式、等特別な場合のみお歯黒付けた童話ごんぎつねにもその描写がある)。 1870年3月5日明治3年2月5日)、政府から皇族・貴族に対してお歯黒禁止令が出されそれに伴い民間でも徐々に廃れ明治以降農村では一時的に普及したが)、大正時代にはほぼ完全に消えた。 以上をまとめると、お歯黒用いた日本社会階層以下の通りである。 平安時代皇族平安貴族元服裳着袴着後の少年少女もする場合あり、男女、未既婚問わず武家平氏源氏付けない場合多かった大規模寺院における稚児 戦国時代婚姻した、また婚約した幼い姫君 一部戦国武将(以上は何れも眉を剃り殿上眉を描く) 江戸時代皇族・貴族 都市部既婚女性全般引眉する、ただし武家では出産後引眉する) 1820歳上の未婚女性引眉する場合としない場合有り遊女江戸上方、共、一人前引眉しない) 芸妓上方のみ、一人前引眉しない/江戸付けない

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