大規模寺院における稚児とは? わかりやすく解説

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大規模寺院における稚児

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 07:30 UTC 版)

稚児」の記事における「大規模寺院における稚児」の解説

平安時代頃から、真言宗天台宗等の大規模寺院において、剃髪しない少年修行僧1218歳くらい)が現れはじめ、これも稚児呼ばれるようになった皇族上位貴族の子が行見習いなどで寺に預けられる「上稚児」、頭の良さ見込まれ世話係として僧侶に従う「中稚児」、芸道などの才能見込まれ雇われたり腐敗僧侶売られてきた「下稚児」がいた。禅宗では喝食呼ばれた髪形垂髪、または、稚児髷で、平安貴族女性同様の化粧をし(お歯黒付け場合もあった)、極彩色水干着た。又、女装する場合もあり、その場合、少女見分けがつきにくかった真言宗天台宗等の大規模寺院修行の場であるため山間部にあり、また、女人禁制であるため、このような稚児はいわば「男性社会における女性的な存在」となり、しばしば男色対象とされた(ただし上稚児対象外)。中世以降禅林禅宗寺院)や華厳宗などにおいても、稚児・喝食は主に男色衆道少年愛対象であった。 特に、天台宗においては稚児灌頂」という儀式が行われ、この時に○○丸」と命名された。これを受けた稚児観音菩薩同格とされ、神聖視された。また例え華厳宗東大寺宗性のように、およそ100人の稚児と関係を持った僧侶存在した室町時代書かれた「お伽草子」には僧侶稚児恋愛稚児観音菩薩化身として現れる稚児物”と呼ばれる作品群があり、また稚児を巡る社会風潮批判するために書かれた『若気嘲弄物語のような作品もあった。 また、大法会の際に舞楽散楽延年上演する場合多く、他の寺の僧侶からも注目集めた。 これらの稚児成人達すると還俗する場合が多いが出家して住職となった者もいたらしい

※この「大規模寺院における稚児」の解説は、「稚児」の解説の一部です。
「大規模寺院における稚児」を含む「稚児」の記事については、「稚児」の概要を参照ください。

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