大規模崩落事故とは? わかりやすく解説

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大規模崩落事故(1950年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/03 14:05 UTC 版)

熊ノ平駅」の記事における「大規模崩落事故(1950年)」の解説

1950年昭和25年6月碓氷峠周辺降雨続き上旬だけで軽井沢測候所150ミリメートルもの雨量観測された。そのような中、6月8日午後8時半頃に熊ノ平駅構内第10号トンネル北側で約3,000立方メートル土砂崩壊して本線突込線が埋没した。 この時点人的被害はなく、作業員を160人による復旧作業開始された。しかしながら含水量が多いことなどから作業難航した上、翌6月9日午前6時6分頃にその上方で7,000立方メートルほどの崩落発生し作業中の人員や宿舎4棟・8戸が埋まったその後手作業での救出作業が行なわれたが、6月11日午後11時半頃に3回目6月12日午前7時24分に4回目崩落それぞれ起きた最終的にこの事故による死者熊ノ平駅長を含む50人、重軽傷者は21人に上り線路延長70メートルわたって60メートル深さ2メートル土砂堆積した遺体6月22日までにすべてが回収され信越本線6月20日開通6月23日完全復旧した。 同年には飯田線でもトンネル崩落起きており、国鉄ローカル線保守軽視しているという意見出た一周忌にあたる1951年昭和26年6月9日におよび同職寄付で「熊ノ平殉難碑」が建立された。

※この「大規模崩落事故(1950年)」の解説は、「熊ノ平駅」の解説の一部です。
「大規模崩落事故(1950年)」を含む「熊ノ平駅」の記事については、「熊ノ平駅」の概要を参照ください。

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