日本の『ブロックくずし』ゲーム作品事情とは? わかりやすく解説

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日本の『ブロックくずし』ゲーム作品事情

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/11 02:24 UTC 版)

ブロックくずし」の記事における「日本の『ブロックくずし』ゲーム作品事情」の解説

日本では早くから海外メーカーからのライセンス生産行ったタイトー発売したのが始まりである。さらにタイトーは、従来アップライト型しか無かった筐体に、テーブル型の筐体開発した。これはタイトーが元々ジュークボックス輸入販売で、あちこち飲食店コイン投入機械収める得意先持っていたのがきっかけで、喫茶店接客テーブルゲーム機どちらでも使える筐体を置くことにより、店にとって効率良い営業目指したものである。これは予想上の成功収め喫茶店大きなゲーム市場として開かれていった以後テーブル筐体同様にジュークボックス販売行っていたタイトー『スペースインベーダー』ヒット時に起爆剤となり、1990年代までその姿が日本あちこち見られた。 日本中堅ゲーム会社多くは『ブロックくずし』でビデオゲーム参入した主な会社だけでユニバーサル(後のアルゼ)を皮切りにコナミ工業(後のコナミデジタルエンタテインメントコナミアミューズメント販売レジャック)、新日本企画(後のSNK)、IPM(後のアイレムアピエス)、豊栄産業(後のバンプレスト)、シグマ(後のKeyHolder)、サン電子日本物産データイーストそうそうたるメーカーが並ぶ。任天堂(レジャーシステム)のアーケードデビュー作は『コンピューターオセロ』だが、2作目はやはり『ブロックフィーバー』でこれらのゲームコンシューマー版出している。最初からテーブル筐体CPU採用したメーカーもあった。 ナムコ(後のバンダイナムコエンターテインメント)はアタリとの距離が近かった時代であり、他社ブロックくずしコピーゲームであるとしてアタリ何度も訴えた。しかし同社Atari 2600販売開始必要な資金繰り追われ日本まで監視の手がまわらず、アメリカではコピー流通しなかったことから、特別な対策をしなかった。のちにナムコブロックくずし発売したが、その頃には先発亜流メーカーにすっかり遅れをとっていた。 こうしたメーカー激し競合で、ブロックくずし販売市場飽和状態となり、各メーカー障害物登場する続編または追加基板キット発売し、客離れ防ごうとした。だがそれは単純にゲーム難しくなっただけであり、改造基板壊れ易くなり、ブロックくずしブーム終焉加速させてしまった。まだこうした新規メーカーにはオリジナルゲーム作る力はなく、後述する『サーカス』のコピーゲーム作るのが関の山だった。しかしタイトーブロックくずし下敷きに、日本一大ブームとなった『スペースインベーダー』発売、各メーカー『スペースインベーダー』ライセンスコピーゲームを出すことで、より会社大きくていった

※この「日本の『ブロックくずし』ゲーム作品事情」の解説は、「ブロックくずし」の解説の一部です。
「日本の『ブロックくずし』ゲーム作品事情」を含む「ブロックくずし」の記事については、「ブロックくずし」の概要を参照ください。

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