教義・教理(神道霊学)
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「神道天行居」の記事における「教義・教理(神道霊学)」の解説
教義・教理の詳細は神道霊学 (神道天行居)を参照。ここでは概略を示す。 堀天龍斎道人は神道天行居の教義の中核となる古神道「太古神法」などを神道霊学と称し、その著書で普く紹介している。しかしその著書で述べられているもののうち霊魂観や産土信仰については主に本田親徳の論の引用であった。また、幽冥観や霊術・禁厭に関する秘辞や伝法書類は大半が宮地水位の伝によるものであった。その他、祈祷師で霊能者の本田亀次が伝授した霊学や、断易の九鬼盛隆の論考などからも多くを引用し、新たに独自の教義大系を作り上げた。
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教義・教理
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天理教の教典の一つである『天理教教典』の第三章「元の理」には、天理教の根本教義が示されており、「この世の元初まりは、どろ海であった。月日親神は、この混沌たる様を味気なく思召し、人間を造り、その陽気ぐらしをするのを見て、ともに楽しもうと思いつかれた。」と書かれている。親神が人間を造ったのは、泥海と表現されるような混沌と化した状態であった世界を面白くなく感じて、人間が明るく勇んで暮らす「陽気ぐらし」を見て、人間とともに「よろこび」「たのしみ」たいと思ったからであり、親神の守護と恵みにより、人間は生かされており、天然自然が存在すると説かれている。人間の役割は、親神が見たいと説く陽気ぐらしの実現にほかならず、親神によって生かされているという謙虚な気持ちを持ち、欲を捨て、嘘をつかず、平和で豊かな世界を目指すことが重要であるとされる。 改訂天理教事典によれば、天理教には「この世は神のからだ」、「いちれつ兄弟姉妹」、「身の内のかしもの・かりもの」、「ほこり」、「いんねん」の主に5つの教理が存在する。このうち「この世の中は神のからだ」「身の内のかしもの・かりもの」「ほこり」は中心的な教説であり、この世の中は親神の守護の世界であり、人間の身体的生命(身上)をはじめとして、一切の物事は親神の「かしもの」であり親神からの「かりもの」であるという天理教独自の教理が存在し、心だけが自分のものとして自由に使うことが許されているとされる。親神の教えに反する心遣いを埃(ほこり)にたとえて「ほこり」と呼称し、心の使い方次第でこれがたまると説き、自己中心的な心遣いを慎むよう、また親神の思いにそって身体を使うことが重要であり、常日頃から「ほこり」を払う(掃除)ように説いている。「いちれつ兄弟姉妹」の教えでは、人間はすべて親神天理王命を親とする同一兄弟姉妹であるとされ、互いに助け合い神人和楽の陽気世界の実現を目指し、弛むことなく努力を続けるべきだとされる。天理教のこの教えは、キリスト教の「隣人愛」や「兄弟愛」に類似する点があるが、天理教では単に同信、同宗のみならず、他宗教や敵対する人々も兄弟姉妹とみなしており、その点では異なる[要出典]。「いんねん」(因縁)は元は仏教用語であり、天理教での教理としては現在の事象が過去の事象に基づいて存在するという考えや、現在の事象のもととなる過去の事象をさす一般的な用法に近いとされる。天理教ではうまれかわりが教義として存在するため、因縁は一代かぎりではなく、前世のもの、あるいは末代の理とされ、陽気暮らし世界実現のために人間を創造した親神の「元のいんねん」を自覚し、懺悔し、その悪しき心遣いといんねんを納消しなければならないととかれている。 また、天理教では人間社会の根本的な基盤として親子・夫婦関係が重要視されている。人間創造の経緯を示した「元初まりの話」や、教典のひとつでもある『みかぐらうた』の中にも夫婦について言及した部分は多い。結婚観については基本的に男女の両性が愛し合うことが前提とされており、2015年度に発行された信仰の指導文書である『諭達』でもその保守的な立場を堅持している。離婚についての否定は存在せず、教典『おさしづ』には夫婦の縁は切れても、「いちれつ兄弟姉妹の理」は忘れてはならないとの記述がある。 天理教の教理には「かしもの・かりものの理」があるため、誕生は親神から体を借りることであり、死は借りた体を返すだけであるという死生観が存在する。教義では、死ぬことは終わりではなく最初から新しく「出直す」のであり、死は「出直し」と呼称される。体を借りる主体者は「魂」(心)であり、その実在の場は「この世」以外にないとし、主体者である自己の同一性は魂によって存続すると説かれている。 「人たすけたらわがみたすかる」という教祖の言葉が重んじられるように、天理教では「人助け」が基本理念にあり、それは「自らが真にたすかる道」とされている。 信者の積極的な神恩報謝の行為をすべて「ひのきしん(日の寄進)」と呼ぶ。「ひのきしん」は天理教信仰を具現化、行為化、した姿そのものであると説かれている。日々健康に生きられることを親神に感謝し、その感謝の意味を込めて、親神のために働くことをいう。歴史的には天理教草創期から存在し、元治元年(1864年)の「つとめ場所」の棟上げからはじまり、その後の神殿や教祖殿、「おやさとやかた」など教団関係施設の建設の普請につながっている。現在では、教会本部や傘下の一般教会での清掃活動をはじめ、地域における奉仕活動、災害時における「災害救援ひのきしん隊」の派遣などが行われている。 天理教の祭典の中心の行事となるのが「つとめ」であり、幾つかの種類が見受けられる。教義上で最も重要とされるものは親神天理王命に「たすけ」(救済)の実現を祈る「つとめ」であり、その中でも「神楽面」を被り「元初まりの理」や親神の守護の様子を表現する「かぐらづとめ」は特別視され、現在では教会本部でしか行われておらず、一般教会で面をつけることは禁止されている。一般教会でも執り行われるのが「てをどり」と呼ばれる「つとめ」であり、『みかぐらうた』の「十二下り」をつとめる。これは親神への感謝を捧げ、世の中が陽気世界への建て替わっていくことを祈ることを意味している。「かぐらづとめ」は12通りあるものの、現在ではほとんどの場合そのうちの一種類が行われ、これと「てをどり」をあわせて「よろづたすけのつとめ」と称している。
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