戦車部隊運用の先駆者とは? わかりやすく解説

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戦車部隊運用の先駆者

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 06:47 UTC 版)

ハインツ・グデーリアン」の記事における「戦車部隊運用の先駆者」の解説

大戦後ヴァイマル共和国軍ヴェルサイユ条約により参謀本部軍学校航空機潜水艦戦車保有禁じられ兵力10万人、将校4000人に制限された。グデーリアンはかろうじて軍籍を残すことができたが、ゴスラー第10旅団中隊長としての勤務続いた1921年1月12月23日、グデーリアンは兵務局参謀本部秘匿名称)に設けられ鉄道輸送電信技術自動車輸送管轄する交通監部(独:Inspektion der Verkehrstruppen)に配属された。これは当時軍隊では左遷とも捉えられる部署であり、一時退役考えたグデーリアンであったが、畑違い運送関係の実務を行ううちに自動車装甲部隊有用性目覚めていく。ジョン・フレデリック・チャールズ・フラー当時無名だったド・ゴール著作影響受けて自動車部隊や戦車部隊用いた革新的な戦術開発すべく、「ベニヤ板ハリボテ戦車」で戦術研究をしている。グデーリアンは回顧録において上官の不理解自分こそが装甲部隊運用先駆者であると強調しているが、ロバート・チティーノ(英語版)が指摘するように、実際にはエルンスト・フォルクハイムやフリッツ・ハイグルのような先駆者がおり、上官にはアルフレート・フォン・フォラート=ボッケルベルク(ドイツ語版)やオスヴァルト・ルッツ(ドイツ語版)、ヨアヒム・フォン・シュテュルプナーゲル(ドイツ語版のような自動車化装甲化の推進者存在していた。 独ソ秘密軍事協力に基づき連合国監視の目が届かないソビエト連邦奥地でのドイツ軍士官戦車戦術教育・訓練にも関与した1933年アドルフ・ヒトラー首相に就任するが、展示会でグデーリアンが指揮した軍事演習激賞したことから、グデーリアンはヒトラー自分見解同意してくれるという確信を持つに至った回想している。グデーリアンは回顧録において参謀総長ルートヴィヒ・ベック戦車部隊軽視したため対立したとしているが、ベック装甲部隊についても重視しており、参謀次長であったマンシュタインもグデーリアンの路線支持していたため、装甲師団成立はグデーリアンが望むスピードではなかったものの、迅速に成立した。グデーリアンは1935年再軍備宣言の下実施された3個装甲師団(Panzer Division新設に伴い第2装甲師団長に任命された。 1937年、オスヴァルト・ルッツのすすめで、戦車部隊対す国民の支持集めるため、著書 『Achtung Panzer!(戦車注目せよ!)』 を出版した彼の構想戦車主力兵器としつつも、戦車歩兵代わりにしようというのではなく戦車にトラック・オートバイ・装甲兵員輸送車により機動力高めた歩兵(後にいう装甲擲弾兵)および従来砲兵よりも機動性の高い爆撃機による火力支援等を組み合わせ、敵の強点ではなく弱点対す電撃的な集中力突破力の発揮目指したものであった。この本は国内ベストセラーになったほか世界軍事筋に高い評価を受け、オーストリアの軍事大学校必読とされるほどであった1938年オーストリア併合では、グデーリアンは第2装甲師団自動車化されたLSSAH連隊率いて短時間のうちにウィーン進駐した。第2装甲師団ドイツ南部ヴュルツブルクから670キロLSSAH連隊ベルリンから1000キロ48時間走破して、ウィーン入城した。しかし30%の車両故障脱落したため、陸軍上層部からは装甲部隊有用性疑念の声も上がった。グデーリアンは距離が長距離であったことからのこの程度の損害は当然であるとし、しかも修理迅速に行われていると反論している。またアンシュルスは突然の出来事であり、全くの事前準備がなかったことはグデーリアンの主張裏付けるとなっている。いずれにしてもこの進駐来たるべき本番問題点洗い出す総稽古となった。 第16装甲軍団長(2個装甲師+1自動車化歩兵師団となったグデーリアンは、10月13日ら行われたチェコズデーテン地方進駐任務あたった。この二日間行程で、グデーリアンの部隊にはヒトラー同行しオペラ晩餐会などで二人親交深めていた。1938年11月28日には、装甲部隊騎兵部隊統合的管理する快速部隊長官(Inspekteur der Schnelltruppen)に就任した。しかし、この職には指揮権人事権存在せず、グデーリアンは当初就任断っている。当時OKH(陸軍総司令部)の中佐であったヘルマン・バルク証言によれば、グデーリアンの対立者であったアドルフ・フォン・シェル(ドイツ語版大佐が、上層部への反抗繰り返すグデーリアンを疎ましく思っていたヴァルター・フォン・ブラウヒッチュ陸軍総司令官組んで閑職である快速部隊長官にグデーリアンを押し込めるための措置であったとしている。しかしヒトラー快速部隊統合運用自分希望であるとグデーリアンを説得し装甲兵大将昇進とともに長官就任運びとなったが、結局この職は実権を伴うものではなく、グデーリアン自身も「底なしを汲む」ような仕事であった回想している。

※この「戦車部隊運用の先駆者」の解説は、「ハインツ・グデーリアン」の解説の一部です。
「戦車部隊運用の先駆者」を含む「ハインツ・グデーリアン」の記事については、「ハインツ・グデーリアン」の概要を参照ください。

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