戦車駆逐大隊の解体
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/10/28 13:48 UTC 版)
「戦車駆逐大隊 (アメリカ軍)」の記事における「戦車駆逐大隊の解体」の解説
終戦時点でアメリカ陸軍には63個戦車駆逐大隊が存在し、その多くは自走砲部隊であった。 戦車駆逐大隊は実戦で二次的な任務における汎用性と有効性を実証したものの、陸軍のドクトリンの変化によって1945年までにその長期的な有効性には疑問が生じつつあった。戦車駆逐大隊の主たる任務は敵機甲部隊の撃破であるが、この任務については他国と同様にアメリカ軍においても戦車が担うようになった。火力については強力な90mm砲を装備するM36 GMCが出現して実戦でその能力を証明したが、終戦間際にヨーロッパの戦場に現れたM26重戦車も同じく90mm砲を装備していた。M26は戦後すぐに機甲部隊の標準的な車両として用いることが出来るよう、中戦車に再設計された。十分な対戦車能力を有する戦車が普及しつつあるという事実は同時に専門の対戦車部隊を持つ必要性を低下させることとなった。 対戦車ドクトリンに従って特徴的な設計を施された戦車駆逐車両についても、多くの戦場では戦車と大差無い運用が行われた。本来であれば高い機動力を生かして敵機甲部隊の出現に有機的に対処し、上部が開放された砲塔がもたらす良好な視界によって敵をいち早く発見し、敵機甲部隊の撃滅に努めるはずであった。しかしながら実際には機甲部隊と行動を共にする、あるいは歩兵部隊の支援に従事することがしばしばであった。ヨーロッパの戦闘において戦車駆逐車両が消費した弾薬の調査によると徹甲弾と榴弾の消費量の比率は1:11であり、戦車駆逐車両としての対戦車任務よりも機動火砲としての全般支援任務の方がはるかに多かったことを示している。 加えて、陸軍は戦後の短期間でその規模を大幅に縮小したことも戦車駆逐大隊にとってはマイナスに働いた。平時に運用する部隊として考えると、完全装備の3〜4個師団に相当する戦車駆逐部隊の運用コストはあまりにも高すぎた。1945年に出された報告書「戦車駆逐部隊の組織・装備・戦術的運用に関する研究(Study of Organization, Equipment, and Tactical Employment of Tank Destroyer Units)」によって、戦車駆逐大隊は解体の方向に向かうこととなった。11月10日には戦車駆逐戦術射撃センターが閉鎖され、戦車駆逐大隊の解体は確実なものになった。1946年までにすべての戦車駆逐大隊が解体された。
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