意識のスペクトラム(ウィルバーI)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/21 21:01 UTC 版)
「ケン・ウィルバー」の記事における「意識のスペクトラム(ウィルバーI)」の解説
ウィルバーの思想活動の基盤にある根本的な発想は、次のように説明することができるだろう。 世界に存在するあらゆる視点は必ずある真実を内包する。従って、必要とされるのは、存在する多数の視点のうち、どれを最も正しいものとして選択するかということではなく、それぞれの視点が内包する真実を認識・尊重したうえで、それらがどのように相互に関係しているかを理解することである。 こうした発想は、ウィルバーが、自らの自己探求の過程において、多様な技法を経験するうちに直面した事実に対する素朴な疑問を基盤としている。それは、いずれの自己探求の視点も非常に重要な洞察をもたらしてくれるものでありながら、それぞれは、自らが最も正当なものであることを主張して、相互に争いをしているという事実に対する疑問――それぞれの存在価値を認識・尊重したうえで、それらの共存を許容する方法はないのだろうかという疑問ということができるだろう。 人間は世界そのものを体験することはできない。人間は、(内的・外的)世界を体験する際、世界を体験するという行為そのものをとおして、不可避的に世界の「創造」に参画することになる。その意味で、存在するあらゆる視点は、それぞれの世界を構築する創造の装置ということのできるものである。しかし、それぞれの創造行為は、また、独特の方法で世界を照明するとともに、同時に、独特の方法で世界を覆い隠してしまう。その意味で、あらゆる視点は構造的に盲点を内包するのである。 こうした事実に着目したウィルバーは、それぞれの視点が相補的に存在することを可能とするための枠組の構想に取り組むことになる。今日、広範に認知されている「意識のスペクトラム」(Spectrum of Consciousness)理論とは、日々の思索と修行の実践のなかで、こうした要求に応えるために創造されたのである。その概要は下記のように説明することができるだろう。 人間の意識は、複数の階層により構成されており、人間の成長はこれらの階層を段階的に通過することをとおして実現される。そして、この段階的成長の過程は、人間の生得的な自己中心性の克服の過程としてとらえることのできるものである。そして、古今東西の自己探求の方法は、この成長過程の各段階において経験される諸々の課題・問題を解決するための触媒(catalyst)として機能するのである。こうした成長段階は、大別して3 (4) つの段階に分類することができるという。 プリパーソナル(pre-personal):生物としての基盤となる肉体的衝動の充足を行動論理とする段階。この段階において、人間は、生命体として生存するために必要となる基礎的な自己認識を確立する。世界とは峻別された存在――それゆえに世界の脅威に対して脆弱な存在――としての自己を認識し、それを防衛・維持することを最高の関心事とする。この段階における課題・問題を解決するための有効な方法としては、例えば、認知行動療法があげられる。これは、人格の基盤となる基礎的構造を構築することを主眼とするものである。 前期パーソナル(personal):共同体の言語・規範を習得して、共同体の構成員としての自己を確立することを行動論理とする段階。共同体において共有されている普遍的な規範を内面化することをとおして、自己の肉体的衝動の呪縛を克服することがこの成長段階における重要な課題となる。この段階における成長課題は、内面化された共同体の規範を徐々に対象化する能力を涵養することである。これにより、自己を規範と完全に同一化するのではなく、それらとの関係性(自由)を確保することができるようになるのである。こうした成長課題を解決するための有効な方法としては、例えば、共同体の規範を内面化する過程において発生した抑圧・分裂等の内的な歪(ひずみ)を解決することを目的とする精神分析療法があげられる。 後期パーソナル(personal):内面化された諸々の共同体の規範・信念等を対象化して、自己の独自の価値体系にもとづいて、それらをあらためて構成しなおす段階。自己の所属する共同体の期待に盲目的に応えるのではなく、それらをさらに包括的な視野(世界中心的視野)から検討したうえで、自己の責任(response-ability)にもとづいて自律的な行動をすることができる。この段階におけるこうした成長課題を解決するための方法としては、例えば、実存主義療法があげられる。これは、個人としての自己の存在を定義する諸々の構造的限定条件(例:死)を認識・抱擁したうえで、それらの条件の範囲内で自己の人生を充実させるための「思想」を構築・実践する能力の涵養を援助する。 トランスパーソナル(transpersonal・postpersonal):自己感覚(self-sense)を個人の領域から霊性の領域へと拡張をする段階。自己の存在基盤を時空間に存在する個人としての存在から時空間を内包(観想)する「目撃者」(Soul・Spirit)へと移行する段階。この段階における成長課題を解決するための方法としては、例えば、瞑想に代表される、東洋宗教により開発された意識変容の方法があげられる。こうした方法は、時空間に存在する個人としての自己の成熟ではなく、自己(identity)の基盤をそうした個人としての自己をあらしめる背景(Soul・Spirit)へと移行することを目的とする。 (人間の意識段階を上記のように3 (4) つに分類するのは、あくまでも便宜的なものであり、必ずしも、この数字にこだわる必要はない。こうした階層構造というのは、虹のようなものであり、その層数は、識別する視点により、多様なものとなる。実際、ウィルバーは、著作のなかで、必要に応じて、各階層をさらに詳細に峻別して説明をしている。各段階において個人が直面する課題・問題とそれらに適応した対応方法についての詳細な説明は、Transformations of Consciousnessの所収論文を参照していただきたい。) ここで留意するべきことは、多数の発達心理学者が指摘するように、こうした成長段階というものが、非常に流動的なものであるということである。個人の成長段階とは、あくまでも重心(“Center of Gravity”)にすぎず、それは、個人の生存状況との関係性のなかで常に変動しつづけているものである。また、個人の内的領域について把握するうえで、段階(“stages”)のみならず、状態(“states”)・領域(“streams”)・スタイル(“styles”)等の要素にも着目することが重要になる。その意味では、こうした段階的な発達理論がインテグラル思想の人間観の「核」を構成するものであると見なすことは、深刻な誤謬を犯すことになるといえるだろう。 重要なことは、ウィルバーの思想活動を貫く「統合の衝動」が、その基本において、人間の認識能力というものが構造的に盲点を内包することの認識にもとづき、それを可能な限り克服することを志向して展開するものであるということを認識することであろう。そうした問題意識は、ウィルバーの思想活動の最初の理論体系である「意識のスペクトラム」にも刻印されているのである。
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