廃線跡の状況
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/26 18:02 UTC 版)
遠賀川駅を出てしばらく鹿児島本線と並走する部分には、レールはないもののガーダー橋などが残っている。 鹿児島本線との分岐点付近には遠賀町が浄水施設を建設しており、そこから築堤が崩されているが当時の函渠はその施設までの通路に利用されている。その通路の入口から先は県道55号のバイパス道路に利用されている。但し、この通路の大部分も、遠賀町の都市計画道路松ノ本・上別府線の計画用地内であり、鹿児島本線を跨ぐ道路と高架橋が建設されている。 古月、鞍手、八尋、室木の各駅とも、駅跡を示すようなものは何もないが、八尋駅跡付近には鉄道時代からの木の柵が残っている。 旧室木駅前にある押しボタン式信号機には廃止後十数年もの間「室木駅前」という表示をしていたが、2000年代後期ごろ撤去されている。
※この「廃線跡の状況」の解説は、「室木線」の解説の一部です。
「廃線跡の状況」を含む「室木線」の記事については、「室木線」の概要を参照ください。
廃線跡の状況
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/27 03:19 UTC 版)
清算法人に移行したくりはら田園鉄道は、順次関連施設の撤去、取り壊しを進めた。道路交通法に関係する踏切を構成する設備、栗原電鉄時代の名残だった架線および架線柱は廃止から比較的早い段階で撤去された。また、津久毛駅と栗原田町駅周辺にあった津久毛変電所・田町変電所は2009年に解体された。有人駅だった沢辺、栗駒を含む大半の駅も2010年までに解体されている。 線路に関しては多くが存置されており、鉄橋等もバリケードが築かれた程度で撤去は進んでいない。これには栗原電鉄が重金属を輸送していたため、路盤が汚染されていることも影響しているとされる。
※この「廃線跡の状況」の解説は、「くりはら田園鉄道線」の解説の一部です。
「廃線跡の状況」を含む「くりはら田園鉄道線」の記事については、「くりはら田園鉄道線」の概要を参照ください。
廃線跡の状況
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 19:07 UTC 版)
廃線跡は中田駅から小松島駅跡地の小松島ステーションパークまで遊歩道として整備され、遊歩道脇の中継信号機に往時の面影を見ることができる。
※この「廃線跡の状況」の解説は、「小松島線」の解説の一部です。
「廃線跡の状況」を含む「小松島線」の記事については、「小松島線」の概要を参照ください。
廃線跡の状況
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/17 04:45 UTC 版)
詳細は「ひたちBRT」を参照 廃線跡については、道路に転用された区間もあれば、特に整備されず空き地または畦道となっている区間もある。また各駅の駅舎やホームといった設備はほとんどが取り壊されており、当時の面影を残すものは少ない。 廃線から約8年後の2013年3月25日に旧久慈浜駅 - 大甕駅間の廃線跡の一部をバス専用道路へ転用し、ひたちBRTの運行が開始された。また同年4月24日には旧久慈浜駅に日立市立南部図書館が建設された。 2018年3月26日には旧大沼駅 - 旧河原子駅間付近の廃線跡がひたちBRTの専用道路となったため、大甕駅東口 - 常陸多賀駅間でもひたちBRTの運行が開始された。翌2019年3月16日には旧大甕駅 - 旧大沼駅間付近の廃線跡もひたちBRTの専用道路となったため、専用道区間は日立市立南部図書館から旧河原子駅付近までの約6.1 kmとなり、大甕駅西口への乗り入れも開始された。
※この「廃線跡の状況」の解説は、「日立電鉄線」の解説の一部です。
「廃線跡の状況」を含む「日立電鉄線」の記事については、「日立電鉄線」の概要を参照ください。
廃線跡の状況
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/10 16:23 UTC 版)
現在の一本松駅の南方までは日田彦山線と線路を共用しており(一本松駅は添田線廃線後の開業)、そこで分岐した後、田川線(現平成筑豊鉄道)と交差する箇所までは路盤が残るが、レールや橋梁は撤去されている。残りの廃線跡はほぼ全線が道路化されている。 上伊田駅跡は駅の痕跡を示すものはなく、その位置さえ分からなくなっている。この上伊田駅と、現在平成筑豊鉄道田川線にある上伊田駅とは別の駅である。今任駅跡は旧駅舎が復元され、公園になっている。大任駅跡は交通公園になっており、腕木式信号機や車輪などが設置されている。また、駅があったことを説明する看板があったが、現在は撤去されている。伊原駅跡も駅の痕跡を示すものはなく、その位置が分からなくなっている。 なお、大任駅 - 伊原駅の間にある森山橋に「旧国鉄添田線」の銘板が設置されている。
※この「廃線跡の状況」の解説は、「添田線」の解説の一部です。
「廃線跡の状況」を含む「添田線」の記事については、「添田線」の概要を参照ください。
廃線跡の状況
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/28 03:09 UTC 版)
青森市沖舘地区の国道280号小浜団地交差点付近から羽白地区国道280号油川バイパス交差点間は、周辺に住宅街があるほか、青森駅西口から油川・羽白・岡町地区への抜け道として青森市が管理する道路として転用されている。そのうち沖舘地区の一部区間は当時の線路敷地幅がそのまま道路となっており、付近の住民からは「トロッコ通り」と称されている。 このほか、津軽半島山中にあった支線の跡や周辺に林道が一部通っている。そこから藪を分け入るなどすると、スイッチバック跡を含む廃線や使われなくなった鉄道橋、トンネルなどが見られる場所もある。相ノ股隧道(旧喜良市川支線・相ノ股線)が2018年に崩落するなど劣化も進んでいるが、地元住民らによる保存運動も行われている。片刈石ヒバ木橋(旧片刈石支線)、小田川ガーター橋(旧小田川支線)は林業遺産に認定されている)。
※この「廃線跡の状況」の解説は、「津軽森林鉄道」の解説の一部です。
「廃線跡の状況」を含む「津軽森林鉄道」の記事については、「津軽森林鉄道」の概要を参照ください。
廃線跡の状況
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/07 10:14 UTC 版)
瀬高駅・佐賀駅にはそれぞれ佐賀線用の0番ホームが今も残存している(佐賀駅は3番のりばを名乗っていた)。佐賀駅から東進する長崎本線の高架には佐賀線の部分がすぐに切れるものの残っており、カーブしながら地上へ降りていく高架橋も長らく放置されていたが2008年(平成20年)3月より撤去が始まり、隣接している駐車場の拡張用地に転用された。地上に降りた地点から東佐賀駅跡までは用地は一般道路に転用されている。瀬高駅ではホームは当時のままだが、線路部分が自転車置き場に転用されている。 東佐賀駅は築堤上にあったが現在は築堤の土砂は除去された。東佐賀駅 - 南佐賀駅までは築堤に並行する道路がある区間は長らく更地のまま残され、並行する道路のない区間が先行して都市計画道路として転用・供用されていた。2013年(平成25年)5月に残りの区間も都市計画道路への転用が完成し、供用が開始された。南佐賀駅から筑後川橋梁(諸富町側)までは自転車専用道路「徐福サイクルロード」となっている。筑後川橋梁から花宗川橋梁跡手前まで遊歩道兼一般道として整備され、そこから筑後大川駅跡手前まで福岡県道767号線になる。筑後大川駅の少し先から大川市大坂井付近までは有明海沿岸道路となっており、自動車専用道路となっている。それより先、筑後柳河駅までは未整備で築堤などの設備が残っている。また、筑後柳河駅のホーム等設備の一部は「学童農園むつごろうランド」に移転されたが、2019年後半頃に老朽化のため撤去された。跡地は公園として整備されている。そこから矢部川橋梁跡地付近まで、一般道となっている。矢部川橋梁跡から先は、田になっている。しかし、一部撤去・整備されずに線路が土の中に埋もれてしまっている所や、用水路を渡っていたと思われるガーダー橋も存在する。 佐賀市東佐賀町の市道に転用された区間 徐福サイクリングロード(筑後川昇開橋西詰) むつごろうランドにかつて遺されていた筑後柳河駅の施設の一部 筑後柳河駅の線路とプラットホームの屋根 矢部川橋梁跡。瀬高駅方面を望む。 佐賀駅に残る佐賀線用のプラットフォーム 佐賀駅に残る車止め 佐賀駅 - 東佐賀駅間の高架線路跡。右側は現在も使用されている長崎本線の高架線路。
※この「廃線跡の状況」の解説は、「佐賀線」の解説の一部です。
「廃線跡の状況」を含む「佐賀線」の記事については、「佐賀線」の概要を参照ください。
Weblioに収録されているすべての辞書から廃線跡の状況を検索する場合は、下記のリンクをクリックしてください。
全ての辞書から廃線跡の状況を検索
- 廃線跡の状況のページへのリンク