天安門事件から「戦略的互恵関係」へとは? わかりやすく解説

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天安門事件から「戦略的互恵関係」へ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 12:33 UTC 版)

日中関係史」の記事における「天安門事件から「戦略的互恵関係」へ」の解説

中国北京六四天安門事件による戒厳令解かれ日本平成時代迎えると天皇皇后日中国交樹立20周年1992年歴代天皇初の中国行幸啓行った終戦50周年1995年8月には村山内閣総理大臣談話「戦後50周年の終戦記念日にあたって」発表された。1996年台湾では初の中華民国総統直接選挙実施され本省人李登輝が有力候補になると再び台湾海峡危機懸念され、「台湾有事」も想定した 日米防衛協力のための指針策定巡って日中関係こじれたりもした。日中条約20周年機に江沢民総書記国家主席)(当時)が1998年11月中国国家元首として初め日本公式訪問し、日中共同宣言発表された。また、歴史認識を巡る問題大きくクローズアップされ反中嫌中といった現象再発伴って中国急速な経済発展中国脅威論喚起させることになった小泉内閣時には再び靖国神社参拝問題などを巡って日中政治関係険悪化して「政冷経熱」の時期迎える。その一方で愛国主義教育への反動として対日新思考主張する動き中国側見られたが、 2005年には大規模な反日デモ発生して新たなナショナリズム芽生えている。日本常任理事国改革常任理事国入り目指しているが、中国は同じBRICSインドの常任理事国入りには賛成しているのに対して日本に対して拒否権発動し親中化したアフリカ連合諸国反対姿勢見せた。 しかし、小泉後任就いた安倍晋三首相は初外遊先に中国選んで大歓迎され、「第4の外交文書」として戦略的互恵関係謳った共同プレス発表して日中両国は関係改善し中国温家宝首相訪日したまた、胡錦濤総書記国家主席)が来日し福田康夫首相とともに戦略的互恵関係包括的推進に関する日中共同声明」を発表した同年北京オリンピックの開会式には福田首相だけでなく、かつて日中国交正常化反対する青嵐会結成して反中嫌中代表格ともされ石原慎太郎東京都知事出席してヨーロッパ対抗した日中協力呼びかけた。2009年には麻生太郎首相リーマン・ショック発生した世界金融危機を受け、「日中韓経済はドイツ・イギリス・フランスの合計上回る」として中韓との経済協力強化打ち出し日中韓首脳会談日本開催した2010年の上万国博覧会では復元され遣唐使船がかつての遣唐使同一航路大阪港から上海入港するまで関係は友好的であった自民党から民主党政権交代し、2011年野田内閣発足後尖閣諸島問題再燃して関係は一気冷え込んだ中国日本小さくない貿易相手同士であり、経済的には密接に結びついていることに変わりはないものの、お互い国民感情の面などからも政治的な日中関係過去最悪の状態となり、2014年9月9日公表された、特定非営利活動法人言論NPOと、中国国営中国日報社が共同行った世論調査では、中国印象を「良くない」「どちらかといえば良くない」と答えた日本人93%に上り日本の印象を「良くない」「どちらかといえば良くない」と答えた中国人は86.8%であったチャイナプラスワンとしてASEAN等への投資増えている。折しも長年進めてきた中国軍備増強一定水準達したこともあり、中国側日本に対しては強い態度で臨むことが増え摩擦拡大した2012年民主党から政権奪還した自民党第2次安倍内閣第1次安倍内閣同様に戦略的互恵関係日中関係基礎位置付けて関係改善図りつつ、尖閣諸島を「核心的利益」とする中国に対して領土問題妥協しない姿勢保って日中双方時に牽制しあった。 しかし、アメリカ合衆国日中対米貿易黒字問題視するドナルド・トランプ政権誕生した2017年から日米貿易摩擦再燃米中貿易戦争起きたことにより日中歩み寄り見せ始め2018年5月には習近平総書記兼国家主席と史上初の電話会談行い日中韓首脳会談出席するために中国首相国務院総理)では8年ぶりに訪日した李克強総理安倍首相東シナ海ガス田問題共同開発合意した2008年から交渉されてきた日中防衛当局間のホットライン海空連絡メカニズム」の運用開始一致し、他にも複数合意文書交わして同時に訪れた韓国文在寅大統領との対応の差が目立ち、その歓待ぶりから「政熱経熱」とも評され同年10月には日本の首相では7年ぶりに単独訪中した安倍首相へ中国厚遇報じられ安倍首相は「競争から協調へ」「お互いパートナーとして脅威ならない」「自由で公正な貿易体制発展」の日中新時代3原則打ち出して中国習近平総書記李克強首相様々な日中協力合意した2019年10月には中国人民解放軍軍艦横須賀親善入港し8年ぶりかつ日本近海では初の共同訓練自衛隊行った2020年4月には習近平主席総書記)が国賓として日本訪問する予定であったが、こちらはCOVID-19対応のため延期されている。

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