天安門広場での虐殺否定
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1993年10月23日に神戸商科大学で開催された「日本現代中国学会」の全国学術大会で、1989年の六四天安門事件において天安門広場での虐殺は無かったとする報告を自由論題でおこない、国際人権団体から抗議を受けた。その後、中国共産党中央委員会の主張にそった「89年天安門事件における『虐殺』説の再検討」を『東京大学教養学部外国語科 外国語科研究紀要』に発表した。その中で村田は、「実際には89年6月の天安門広場では『残虐な殺戮』とか『虐殺』と称すべき事態は発生しなかった」として、マスコミ報道を含めた思い入れ先行の「研究」の危険性を指摘した。ただし、村田も、解放軍が北京市内に侵攻する過程で発砲による死亡事件が起きたことは否定していない。 また、インドのマハトマ・ガンディーにより始められた非暴力抵抗運動の方法の一つであるハンガー・ストライキを「89年の中国の学生運動を一面的に美化することは問題である。そもそも自分たちの要求を実現させるために『ハンスト』という、生命を武器にして相手に譲歩を迫る方法は、とても民主的手続きを踏んだものではない。生命を武器に相手に自分たちの条件を飲ませる方法であって、一種の脅迫である」とした。当時の民主化運動を「文革期にも行われた極左行動に他ならない。それを『平和的』『理性的』な行動であった、と持ち上げるのは、あまりに『お人好し』な評価といえる」暴動事件だとしている。
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